2018年9月6日の北海道胆振東部地震のあと | AKARI 

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ずっと前にやっていた小さなカフェの屋号が
Cafe Akari。料理を作ること&食べることが大好き。 

札幌に引っ越して戻ってきて5年。

おかげさまで、友に恵まれ、出会いに恵まれ、穏やかな暮らしをしておりました。

今年の1月19日には父を見送ることもできました。

96歳まで3日という「生ききった」父は85歳頃まで会社経営で現役で働き、おかげさまで苦しみも少なく旅立ちました。

 

 

さて、ご存じのようにに、先週木曜日の早朝、というか、深夜 3時8分に 7年ぶりに緊急地震速報がスマホからけたたましく鳴り、その3秒後にはグラグラ。

 

おかげさまで、私の居住している札幌市西区のマンションは築11年、しっかりしているせいか、地盤のせいか、恐ろしい揺れではなく時間も比較的短く感じました。

 

これは、2011年3月11日〜を東京都世田谷区と渋谷区で毎日の揺れを体験したから、そう感じたのかもしれませんが。

 

テレビを付けてみたら地図と震度    と 思ったとたん消えました。

停電です。

 

キャンプ用のLEDライトをすぐに頭に装着、パピヨンの安香理(16歳の犬)を左腕に抱きかかえて94歳の母の寝室へダッシュ。

 

おかげさまで、我が家は無事です。

 

停電も断水も今は復旧しました。

 

ひたすらマジメに真剣に節電をしています。

 

7年前の学びをほとんど生かせていなかったこと、北海道は安全、と意味もなく信じ切っていた甘さに大反省。

 

悪いことを不安に思いすぎず、冷静に防災の準備をし、工夫を実行し、不安を口にしないで、プラスの想念で天変地異をちょっとでも動かせるよう(基本は感謝と懺悔)毎日を暮らしています。

 

高齢者がいるので困っている方々のところに飛んで行って炊き出しやお手伝いができないのが心苦しいですが、

自宅にいてもできることがあるはず、と、日々探しております。

とにかく、自分自身と家族の健康と平穏を守ることが私の今の第一の役目です。

 

第二のふるさと、東京の笹塚、北沢からたくさんのありがたいメッセージ、メールなどいただき、感動です。

ありがとうございます。

 

かつて、仕事で会ったドイツの方の言葉を思い出します。

「家中、どこもかしこも明るくて涼しかったり温かかったり、季節関係なく薄着ができるようにしているのはアメリカ人と日本人ね(笑) ドイツでは寒ければ着る、暑ければ脱いだり窓を開けたり、それが最初にすることよ。自分が必要な場所にだけ灯があればよいでしょ」と。

それが世界の大会社の日本支社長の奥様。

家賃は15年ほど前の話ですが、確か75万円位の一軒家でした。

入居してすぐの質問が「使わないブレーカ落としているけれど、全体のパワーを落とせるか東電に聞いてください。毎月の電気代を節約したいから」と。光熱費も会社持ちだったのですが。

 

 

考えることが多い今です。

 

こうやって パソコンの前で考えたりできているのはただただ恵まれているのです。