よく分からないが、嘉納治五郎って? ③ | akm48

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この後、嘉納治五郎は嘉納流柔術を「柔道」の名に改めようとする。
「日本伝講道館柔道」と言うのが正式な名前である。
道場を開き柔術諸派の統一をはかろうとしたのである。

 

嘉納は柔術を飯久保恒年に学んだのであるが、飯久保恒年が段位制を提案するのである。
今までの柔術は修行を積んで「目録」「免許皆伝」と進んだものが、「初段」「二段」・・・・「九段」としたらどうかと言うのである。
この『嘉納治五郎 風雲録』では段位制は囲碁、将棋より先に導入したと書いてあるが、本当は囲碁、将棋の方が先であろう。


柔道では初段になると黒帯になるが、この黒帯は飯久保恒年が好みで黒帯を使っていただけのことらしい。
それで、有段者は黒帯にすると決めたらしい。

飯久保恒年が赤帯好みだったら、有段者は赤帯になったのであるな。

「日本伝講道館柔道」は西郷四郎(姿三四郎)の強さとともに世間に知れ渡った。
警視庁は殉職者を慰霊するため弥生神社を明治18年(1885年)に造営し第1回奉納武術大会を開催した。
前の「警視庁で柔術世話係を採用する武術大会」では嘉納柔術は招待されず、西郷四郎(姿三四郎)が5人抜きをしたにかかわらず、飛び入り出場と判断され西郷は柔術世話係にも選ばれなかった。

ところが、今回は各新聞社が講道館を大会に参加させろと書いたのである。
かくして講道館にも招請状が届いた。


この大会の打ち合わせで、嘉納治五郎は一つの提案をした。
「当て身」、「蹴り」、「脇固め」、「足がらみ」、「胴じめ」などを禁じるルールを提案し、通ってしまうのである。
一見、もっともなようである。
しかし、柔術は戦場で戦う武術であったし、警察官は犯人が捕まえようとして抵抗したり、逆に襲ってきた時にどのような術を使っても取り押さえなければならないのである。
犯人を取り押さえるのにこの術を使ってはいけないと言うのはおかしいな。
今の自衛隊がこれこれはしてはいけないと言うのと同じである。


嘉納治五郎は自分の講道館に都合の良いようにルールを変えたと言われても仕方がない。

この時から柔術は武道から「スポーツの柔道」に変わったのであるな。
今は、体重制も取り入れて完全にスポーツの柔道になったのである。
武術からスポーツになったのは悪いのかと言えばそうとも言えない。
時代にあった良い方向だと思う。
ただ、警察官なんかは武道としての柔術も必要であるとは思う。


余談であるが、柔道はブラジルのグレイシーなどに伝えられた。
グレイシーは柔術の技なども取り入れグレイシー柔術を作り上げた。
総合格闘技でグレイシー柔術は無敵で不敗神話を誇っていた。

平成11年(1999年)レスラーの桜庭和志が出るまでは日本人は誰もグレイシー一族に勝てなかった。
桜庭はグレイシー一族の4人全員に勝利を収めている。