2024年1月 愛媛県 西条市 石鎚神社宝暦12年の鳥居 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

愛媛県西条市の石鎚神社本社参道に宝暦12年の鳥居がある。

この鳥居に記される元号「寶暦十ニ歳」は、今まで探し出してきた700件以上の石鎚

の地に記される元号で一番古いものである。

この鳥居の調査はずいぶん前に終わっていたが、鳥居に記されている文字が文献に

よっては内容が違う点がある事に気が付き再調査してみた、そして右柱内側に「明治

十二年修宮新居濱漁師中 人夫 喜多濱 大町」の文字を発見、この文字は風化が激しく

解読は困難を極めたが、どの文献にも記されていない新しい発であり、明治時代に

追記されたようである、左柱裏側に記される「新居濱村漁者中」の文字からも、昔は特

新居浜の漁師間で石鎚信仰が浸透していたようである。

また文献よっては左柱に「同郡濱村住 網元 太郎兵衛」と記されているが、実際には

網元の文字は無く「同郡濱村住 太郎兵衛」しかない、また他にも文献とは漢字が違

点が数ヶ所あったので下記に正確に記してみる、ただ人名の部分で一文字だけ不安

要素が残っているが、それ以外の文字は間違いないと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

石鎚神社本社へ

 

神門を入り参道へ

 

これが宝暦12年の鳥居

現在では上部が取り除かれ左右の柱のみが残っている

 

まず右の柱である

正面に「奉寄進石鉄山神社花表一基 施主野間郡菊間 講中」

 

正面やや右に「施主野間群菊間」とあり正面下部の「講中」に繋がる

外面に「人夫 氷見組中」

 

内面に「明治十二年修宮新居濱漁師中 人夫 喜多濱 大町」

この文字の発見で想像できることは多々ある

 

そして左の柱には

正面に「寶暦十二歳次壬午六月穀且 願主同郡濱村住 太郎兵衛」

 

正面やや右に「願主同郡濱村住」とあり「太郎兵衛」と繋がる

そしてどうみても「網元」の文字の痕跡は確認できない

 

正面やや左に「石工 今治町 中村久右衛門」

 

外面に「別當前神寺住持兼  御宝御所釋迦牟尼院法印濁一識」

 

裏面に「再建修繕 新居濱村漁者中」

どういう意味か気になる所であるがもはや調べようがない

 

内面に「願主 酒井富助 秋月源右衛門 飯尾亀太郎 村尾伊造 堀田保助」

 

今でもはっきりと「寶暦十二歳」と読める

この元号が今まで石鎚信仰の地で見た一番古い元号であり

ここは石鎚神社本社参道である

 

「石鉄山」

本当に素晴らしい御山だと思う

「やはり石鎚信仰はすばらしい」

m( _  _ )m

 

 

 

 

 

 

 

 

旅する石鎚信仰者