石鎚山旧跡三十六王子社
今回の第四鞘掛王子社への参拝目的は、今までに確認した元号で三番目に古い元
号とされる石鎚大権現三十六王子の碑「安永乙未年」に続き、二番目に古い第四
鞘掛王子社の石仏に記される元号「明和五子」の再確認である、尚、第二檜王子の
地蔵菩薩台座に更に古い「明和三丙戌八月吉日」と記されているが、この台座には
(石鎚)の文字は無く「自分的定義として自分の目で見た元号が記される現物に(石鎚)
の文字が記されている事が条件」に当てはまらない事から、地蔵菩薩鎮座の元号とし
て考え石鎚信仰の地であるが除外している。
何より三十六王子社の中でもこの第四鞘掛王子社には強い思い入れがあり、今から
12年前の事、王子社片隅に僅かに地表に出た石仏が王子社を示す石標である事
が分かり地中から掘り出した記憶は昨日のように覚えている。
そしてこの第四鞘掛王子社には石仏が二体祭られてあり、一体は「鞘掛けの地蔵」と
いい西之川庄屋 高須賀蔵人の伝承がある、もう一体は「咳の地蔵」といい、祈願すれ
ば咳が止まると言われている、そして先の鞘掛けの地蔵には正面にお地蔵様が彫ら
れ下部に「石鉄山」右側面に「明和五子七月吉日」と彫られ今でもはっきりと読み取れ
る、したがって確認した中で一番古いとされる石鎚神社本社の宝暦12年の鳥居に続
き二番目に古い元号が記されているのがこの石仏である。
今回12年ぶりにこの王子社に参拝したが、全く変わることなく素晴らしい景観を残している
ここに来て思う事はやはり石鎚山旧跡三十六王子社は素晴らしいと言う事である。
千野々バス停から西へ100mほど
建物横の階段が第四鞘掛王子社入口
入って行くとはっきりとした山道が続く
入口から五分ほどでポールが立っている
第四鞘掛王子社入口を示すポール
少し下った所に大岩があり白い旗が見える
ここが第四鞘掛王子社
やはり地形的な関係でこの十年で右の谷筋から
土砂が流れ込み旗ポールが半分埋まっている
王子社は険しく立ち上がる大岩の元に祭られている
右の石殿は昭和50年に石鎚神社により設置されたもの
中央の石仏が鞘掛けの地蔵様、左は昭和6年に石鎚神社により
設置された王子社を示す旧石標、そして石殿の後ろに
咳の地蔵様がひっそりと祭られている
12年前に地中から掘り出した鞘掛王子社旧石標
あの時気が付かなかったら今頃は完全に埋まっているだろう
中央の鞘掛けの地蔵様
赤いよだれかけを除けてみると
正面下部に「石鉄山」
どういう意味でこの地蔵菩薩に石鎚山と記されたのか?
三十六王子社に祭られるからこう記されたのか
理由など分かるはずもないが今までよくこの状態で残っていると思う
今から256年前に作られた石仏である
右側面に「明和五子七月吉日」
前回読み取れなかった左側面
「平之〇」「与刕字广〇〇山中」「文六」
無理やり読み取ったが全く意味不明
「やはり三十六王子社はすばらしい」
m( _ _ )m
旅する石鎚信仰者