2024年1月 愛媛県 新居浜市 萩生の石鎚大権現三十六王子の碑 | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

愛媛県新居浜市萩生の治良丸不動堂に石鎚大権現三十六王子の石碑がある、ここ

へ来るのは二回目で初めて来たのは2012年6月の事、今回の目的は改めてこの碑

に記される元号の確認で訪れた。

この石碑の事は愛媛県立図書館所蔵「郷土史談第18巻第7号(平成4年7月)~第

18巻第12号(平成4年12月)通巻204号~209 新居浜郷土史談会 請求記号

K214-7」という郷土史に掲載されていて、この石碑の由緒が記されているが結果的に

詳しい事も分からず何でここに立っているか分からない感じの表現で記されている。

この資料の21頁には「治良丸不動堂 石鉄大権現三十六王子の碑」と記され、この石

碑の写真が掲載されている、何より目を引くのはこの碑に記されている「安永乙未年」

という元号である、今まで700件以上の石鎚信仰の地を訪れてきた中でも「安永」の元

号はここだけであり、今まで確認している元号で古い順に石鎚神社本社「宝暦12年」

の鳥居、石鎚山旧跡三十六王子第四鞘掛王子「明和5年」の石仏、そして今回の「安

永4年」の三十六王子碑であり三番目に古いものである、更に「石鎚・三十六王子」と

いう文字が記されているのも石鎚山旧跡三十六王子を含めてもこの碑だけであり、石

鎚三十六王子と言う名称が安永年間に確立していた事を知る上で貴重な碑である。

(この三番目に古いと言うカウント方法には自分的定義として自分の目で見た元号が記される現物に「石鎚」とい

う文字が記されている事を条件とし口伝や伝承、文献に記されている情報は含んでいない)

この治良丸不動堂、堂内に入れないが中に仁・智・勇の木箱が確認できる、境内には

「奉納 石鎚神社 昭和八年六月」と記された石柱も存在、間違いなく石鎚信仰と関係し

た不動堂であり、古くからこの地に存在していたようである。

そして残り少ない手元にある情報から今後これ以上古い元号が記される石鎚信仰の

地を発見する確率は低く、ここに記した上位三ヶ所は変わらないと思う、江戸時代中

期から急激に発展を続けた石鎚山信仰、石鎚神社を起点に石鎚三十六王子社を経て

各地へ広まって行ったという事を先人達は残してくれた「やはり石鎚信仰はすばらし

い」と思う。

 

 

 

 

 

 

 

新居浜市萩生の不動堂

 

ここが治良丸不動堂

 

入口左に石碑が二基並んでいる。

 

左の石碑は「山〇除五週年記念碑」と読めるが意味が分からない

まず石鎚信仰とは無関係と判断

 

右に立つ石碑が石鎚大権現三十六王子の石碑

 

薄く平らな自然石で本には

「黒色絹雲母片岩でこの付近の河ならどこにもある」

とこの石碑の石種が記されている

 

「安永乙未年 石鈇大權現三十六王子 三月吉祥日」

 

安永乙未年とは安永4年(1775年)

今から249年前に彫られた文字である

 

入口右に立つお地蔵様は舟形光背半肉彫りであり

上部を失い左上の元号を失っている

左上に「ニ己七月立之」と読める事から「嘉永」か「明治」と

予測できるが状態からして「明治」かと思う

 

不動堂左の白い壁の建物は生目八幡宮

 

柱正面に「生目八幡宮」側面に「昭和八年一月 遷宮記念」と読める

 

手水舎右側面に「世話人 石原仁助 原 藤市」「昭和八年六月建之」

 

そして中央が不動堂である

 

額には「新四国第五十番 霊場不動堂」

 

以前と全く変わり無く仁智勇の木箱もある

 

不動堂前の二本の石柱

 

左の石柱には正面 に「奉納 石鎚神社」右側面に「昭和八年月六月吉日」

左側面に「寄附者 洪水中」と記され手水舎と同じ年月

 

後ろにある四本の奉賛者石碑

 

右の石柱正面に「愛国」右側面に「手洗鉢 寄附人遥中」

左側面に「世話人 石原仁助 原 藤市」とあり手水舎と同じ世話人名

「やはり石鎚山旧跡三十六王子はすばらしい」

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