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広島県府中市本山町に七ツ池があり、北側に石鎚山がある。
ここは地元ハイカーには知られている様であるが、詳細な情報も写真もなく、登拝口も
はっきりしない石鎚山である。
そして現地へ行って見ると、道端に「石鎚大権現」と記された看板があり、迷うことなく
石鎚山へ行くことができた、何より驚いたのは、今まで知らなかった事が不思議なほど
立派な石鎚信仰の地を作り上げている、大木の元に石鎚山の祠があり中には石鎚大
権現の石像と石鎚大神の玉持ちの御神像が祭られていた、この祠の向く先はぴった
し霊峰石鎚山、実際に見えるかどうかは分からないが正確に祭られている、そばには
立派な不動明王が祭られた祠もあるが、この祠は南向きに祭られている、何より先人
から子孫に受け継がれ信仰されている様であり、まだ新しい常夜灯も奉納され裏付け
る氏名が残されている、この石鎚山はこの辺りでは一番標高が高い山であり、登拝道
に「火呑山 荒谷の石鎚権現さん」と記されていた。
石鎚山の祠の横には大変興味深い石碑があり嘉永五年の文字も読み取れる、そして
石鎚山の祠内には古い木札が残ってあり、大正14年に石鎚大神の御神像が石鎚神
社より奉納され、昭和2年に改築された記録も読み取れる、この石鎚山は歴史も古く
かなり発展していたようであり、先人は石鎚信仰にかなり力を入れていたようである、
そして、この祠に手を合わしていると、ここを作り上げた先人はと何か共通する石鎚山
への思いが伝わってくる様であるm( _ _ )m
この辺りでは一番標高が高い山である
石鎚山の祠が向く先は霊峰石鎚山
ここが石鎚山の登拝口
しっかりとした道が続いている
「石鎚大権現」「不動明王」「入口徒歩10分」と記されている
そして左に石鎚山の由緒が簡単に記されていたようであるが
今では完全に読み取る事ができなかった
良く踏まれた広い道
正面が石鎚山
登拝道脇の大きく割れた石
少し下って登り返す
倒れ木を潜り
池の方から続く道もあるようで合流する
そして石鎚山ではなく「火呑山」とあり「荒谷の石鎚権現さん」と記されている
坂を上り切ると古い木々が茂っている
ここが石鎚山である
大木の元に石が積み上げられ祠がある
石柱があり「火呑山石槌大権現不動明王」「府中市荒谷町」
そばにある別の祠
瓦が積み上げられているので建て替えられた様子
立派な不動明王の祠
祠内の不動明王の像は立派である
見たことのない会符
そして石鎚神社先達会符もあった
石鎚山の祠とは向きが違い南向きに祭られている
こちらが石鎚山の祠
石で高く積み上げられ立派である
すぐそばに大変興味深い内容の石碑がある
中央上部に「石鉄大権現」
右に「開山発起者」その下部に「根本迫吉右衛門 東迫勘蔵院」
左に「権訓導 小寺金治」「頭取 小寺喜道」「寄附 三迫幸次郎」
左側面に「大正元年十二月世話人講中」右側面に「嘉永五年七月」
祠の前にある常夜灯一対は新しい
「昭和五十三年」とある
上部の石鎚山の祠には
石鎚蔵王大権現の石像
木箱には石鎚大神玉持ちの御神像
古い木札が残っていた
「記 伊豫石鎚神社分霊金佛奉納 大正拾四年旧四月拾五日」
「當社改築金佛併祀 昭和貮年旧四月拾五日」「先達 小寺喜道」他17名
ここに祭られた当時と全く変わりなく現在に至っている
「やはり石鎚信仰はすばらしい」
m( _ _ )m
旅する石鎚信仰者