2019年5月 広島県 府中市 父石町 長峰山石鎚大権現 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

 

長峰山石鎚大権現

2日間で笠岡市・井原市・福山市・府中市の新しい石鎚山を訪問した。

そしてこの長峰山石鎚大権現ほど強く印象に残った石鎚山は今までにも数少ない経

であり今もこれほどの規模の石鎚信仰の地が存在していたと思うと感無量である。

何よりこの長峰山石鎚大権現の情報は一切なく、僕の知る限り書物でも見た事は無

そもそもこの石鎚大権現はどのような所かも一切分からずに行ってみた訳だが立

派な鳥居を潜り登っていくと参道脇には石鎚山と記した石碑が所々にある、正面に拝

殿が見えるとその奥は広々とした空間があり奥に石鎚大権現が祭られていた。

この長峰石鎚大権現は、この地に繁栄した真弘講の石鎚山である事も分かり、当時

かなりの規模で繁栄していたと思う、そして真弘講は大正4年組織されたようで石鎚

社本社の感謝状もあった、宮司の名は十亀和作 宮司であった。

この真弘講は現在どうなんだろうか?これほどの規模の石鎚山を造りあげた講社だけ

にじっくり調べてみたいものだ、そして2日間の石鎚山の旅は終わり改めて最後に思う

事は「やはり石鎚山はすばらしい」という事であるm( _  _ )m

 

 

 

 

 

 

長峰山石鎚大権現はここにある

 

ここが長峰山石鎚大権現への入口

 

石鎚大権現の神額

 

「紀元二千六百年記念」とある

これは1940年(昭和15年)を表す

 

反対側の柱には「真弘講」

 

鳥居の傍にある石段寄付者の碑

 

こちらは鳥居寄付者の碑

 

鳥居を潜り石段へ

 

山へ向かって道は続いている

 

少々藪ってくるが突破

 

尾根筋へでると歩きやすくなる

 

参道の至る所にある「石鎚山」の石柱

 

登山口から20分、航空写真に写っている建物に着く

いかにも拝殿といった感じであるが

 

その奥は ! ! なんとすばらしい空間だろうか

これはここに来た者にしか分からないm( _  _ )m

 

拝殿の中にはいくつもの額があり「長峰山石鎚大権現」とある

 

石鎚神社本社の感謝状

そして大正4年に組織ともある

 

たくさんの奉賛者氏名板

 

まさしくこの地の石鎚信仰を示している

 

そして奥の本殿へ

静かな山中で本当に素晴らしい空間である

 

左の門柱には「祝八十八歳 昭和十八年旧四月」

 

右の門柱には「祝六十一歳」

 

そして至る所で見る「石川吟八」の名

 

本殿前の榊は緑で生きている

 

「真弘講中 平成四年九月十八日」

 

裏側には「祭祝六十年祭斉行」「祭祝七0年祭斉行」

 

本殿右側には役行者の石板

 

左側には不動明王

 

中央は立派な石祠

 

中には石鎚蔵王大権現

 

後面にも石鎚大権現が書かれている

 

正面は開け北西向き

この先の山裾に真弘講はあるのだろうか?

 

敷地の脇に3つの記念碑があり2つは興味深い内容である

 

「昭和三十五年九月 伊豫石鎚登山四ニ度満行

真弘講発起者 山田喜三郎」

 

「當所長峰山石鎚神社 初代大先達石川吟八 真弘講中」

「やはり石鎚信仰はすばらしい」

m( _  _ )m

 

 

 

 

 

 

 

 

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