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新年早々の石鎚神社の旅は岡山県へ
どういう訳か石鎚山から瀬戸内海を挟んだ山口・広島・岡山には石鎚山が勧請
された地が多く、現在でも石鎚信仰の活動が盛んな地域である。
そしてこの辺りの地図を見ただけでもたくさんの石鎚神社が確認できる訳だが
実際には地図には載っていない石鎚神社は数え切れないほどあるだろう。
そして最初に行った石鎚神社では、いつもは無人の神社だが元日祭が行われ
ていてまず知る事ができないお話をうかがう事ができた、今日このタイミングで
ここへこなければ分からなかったことであり、どうもここの権現さんに呼ばれたな
と思う日でもあった(^_^)。
元日、鷲羽山で迎える初日の出
そして初詣は最上稲荷
ここは日本三大稲荷の1つである
石鎚山南側の道に登山口はある
まずは総社市窪木にある石鎚神社へ
小山の上に石鎚神社とある
ここは岡山総社インターのすぐ西側である
県立大学交差点から見る石鎚山
石鎚山南側の道に登山口はある
鳥居が奥と手前で2つ見える
手前の鳥居は金比羅大権現
奥の鳥居は「八幡社」とある
この八幡社の鳥居が石鎚神社への入口である
階段を登って平坦な道を進むと
あれが石鎚神社
「石鉄山蔵王大権現」
台座には「石槌大権現」
横の石碑は天照皇神宮とある
「寿福山 修験道不動寺」とある
石鎚神社の正面にある石碑はまた別物のよう
なかなかのずりずり急斜面で手ごわい ! !
更に登って近寄ると ! ! 鎖が見えた ! !
登り詰め鎖の取り付け部分へ
木に巻かれ落ちないようにしてある
1つ1つの鎖には奉賛者氏名がある
下まで降りて鎖の先へ
何と薮の中から巨大な石碑が ! !
こりゃすばらしい発見だ ! !
大峯山・石鎚山・美作後山 かな?
岩沿いに入り込むと鎖の先っぽ発見 ! !
鎖に角があるので途中で継がれているようだ
そして更に奥にはもう1条の鎖が ! !
やはり先には大リング
手前の鳥居は金比羅大権現
奥の鳥居は「八幡社」とある
この八幡社の鳥居が石鎚神社への入口である
階段を登って平坦な道を進むと
時間はお昼過ぎ
頂上の石鎚神社はざわざわしている
頂上の石鎚神社はざわざわしている
あれが石鎚神社
声を掛けてみると今日は石鎚神社の元日祭
十数人の年配の信者さんが居られて
この神社の貴重な由緒を聞く事ができた
ここは7年前まで廃墟であった、そして三重県から
行者が来てここの神様が悲しんでいると言った
そして再建され現在に至っている
更にこの石鎚神社の真下に鎖が掛けられているとの事
何年も誰も入ってなく近寄れないらしい
これも今日このタイミングでなければ知る事はなかった
「石鉄山蔵王大権現」
石の印
何より今の時代になってよく再建ができたと
思うばかりである、この地で石鎚信仰が繁栄した
証であるがなかなか再建できるものではない
そして御神前に供えられていた
物をいろいろ (すべて?) いただいたのである(^_^)。
後に祠があり南向きに祀られている
御神像は単体の石鎚蔵王大権現
7月のお山開きの時は成就社の前神寺奥院に
権現さんを担ぎ上げ4月には護摩焚も行われる
祠には「石」の印
祠の中には石鎚蔵王大権現 ! !
わざわざカギを開けてくださり拝する事ができた
全高35cmほどのよくある権現さんだった
台座の石はかなり古いよう
台座には「石槌大権現」
横には石の小槌
横の石碑は天照皇神宮とある
金比羅信仰と石鎚信仰は昔は四国の二大信仰
「寿福山 修験道不動寺」とある
しかしこれがどこのお寺か分らないが
かなり関係しているよう
裏側には「平成21年12月」
ここへ行者が来た年と重なる
ここへ行者が来た年と重なる
石鎚神社の正面にある石碑はまた別物のよう
そして鎖の調査へ ! !
知ったいじょう無視するはずも無く探してみよう
ここはさっきの看板の所であり
石鎚神社の正面真下にあたる所である
しかし道などなく山の様子からして
なかなかのずりずり急斜面で手ごわい ! !
入口から右上は何も無かった
左上に進むとビルのような大岩が積み重なり
高さも10mほどある、この辺りがあやしい
更に登って近寄ると ! ! 鎖が見えた ! !
登り詰め鎖の取り付け部分へ
土の中に埋まっていてぐらぐらであった
木に巻かれ落ちないようにしてある
1つ1つの鎖には奉賛者氏名がある
下まで降りて鎖の先へ
なかなか薮っていてにゅるにゅるだ(^_^)。
何と薮の中から巨大な石碑が ! !
こりゃすばらしい発見だ ! !
いつの時代からここに立っているのか?
上部には石鎚山
下部は先達の氏名が彫られてある
残念ながら年号はなかった
大峯山・石鎚山・美作後山 かな?
後山が怪しいがたぶん間違いない、後山は
美作市にあり西の大峰山と呼ばれる修験道の山
そしておそらくここへ来た三重県の行者とは
大峯山の修験者じゃなかろうか?
当時この地では予想以上に石鎚信仰は発展したが
当時この地では予想以上に石鎚信仰は発展したが
長い歴史の中で消え去ってしまったのだ
岩沿いに入り込むと鎖の先っぽ発見 ! !
鎖に角があるので途中で継がれているようだ
そして更に奥にはもう1条の鎖が ! !
やはり先には大リング
しかし感動である今日このタイミングで来なければ
この鎖の存在を知る事はなかった