2016年3月 高知県 日高村 清宝山の石鎚神社 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

高知県高岡郡日高村に清宝山があり山頂に石鎚神社がある

この辺りは古くから石鎚信仰が残り特に石鎚山の多い地区でもあり、昨年はとに

かく極めるに極めた地域であった。

そしてまだあるとは思っていたがもう見つける手段も無く諦めていた所でもあった

しかし読者の方より「清宝山に石鎚神社がある」と言う情報を戴いたのである ! !

まさしく天の囁きを体感する為の天の囁きである、タメやんさんには幾つも情報

戴いていてこの場をかりて厚く御礼申し上げますm( _ _ )m

そしていつものように ! ! ゆっくり下調べしたいところだが、あまりごじゃごじゃと

作戦を立てるにとにかく行ってみよう。

日高村まで慣れた道を走り297号線へ入る、加茂中学校を西へ少し行った所か

ら北へ入り山道を登っていくと清宝山山頂直下まで車で行く事ができる。

道は細いが舗装されている、しかしいつものように「どうなってもいい車」で行った

ほうがいいような道である、車はばじばじになるだろう('-^*)/

途中何箇所かに清宝山を示す看板があり急坂を登る事10分、行き止まりは広く

なっていて正面に神社がある、清宝山石鎚神社である ! !

神殿に鍵はかかってなく中に入ってお参りする事ができる、青々しい榊が供え

れ平成3年に改築された記録も残っている、建物はしっかりしていて信者さんが

定期的に管理している様子がうかがえる。いくつかの厨子があるが留守のようで

1つだけ御神像があったが石鎚山とは関係がないようである、祭壇には石鎚神社

の棟札と2つの石鎚神社先達会符が置かれてあった、行き場のなくなった会符

思われるが番号は古い、棟札からは「明治10年5月」に石鎚大神奉迎と読み取

事ができる。それ以上古い記録は無く、おそらく明治初期の神仏分離令以後に

この地に鎮座した石鎚神社であろう。








清宝山はここにある ! !


中央のピークに石鎚神社がある
ここからは見えないがすぐ下まで道がある

297号線の加茂中学校を少し西に行ったここから
山の方(北)に入る、何も看板は無い ! !

数百メートル進んでここを左へ曲がる
ここも看板は無い ! !

くねくね登って三叉路に出る

ここで始めて清宝山→とある
下には「大たびの滝 大岩屋」 と記されている
石鎚山の鎖の伝承が残っている岩屋である ! !
昨年ここを発見した時の感動は昨日のように覚えている

そして終点は広場で正面に神社が現れる
むりやり南向きに建てられている感じ

この駐車場から日高村が見下ろせる


この神社に鳥居は無くどこにも石鎚神社とは記されてない


中に入ってお参りできる
生きた榊も供えられている
大小4つの厨子があるが左3つは空っぽ

この厨子には御神像が居るが何か分からない
「富士浅間神社建築記念」と記された札が入っている

古い棟札が何本かあるエリザベス

「石鎚神社五拾年祭改築」とある

石鎚大神(石鎚山)と大山祇命(大三島の大山祇神社)
明治10年5月に迎え入れたと言う事

石鎚神社の先達会符
後継者が居なくなり行き場の無くなった会符

何と8107番なのでかなり古い
上部の焼印は石神社になっている

こちらの会符は見た事が無い ! !

この会符番号は何と689番 ! ! よく残っていたもんだ
僕が計算すると先達制度が始まって間もない頃の
1775年から1776年の間に発行された会符であるエリザベス
この日高村では特に石鎚信仰が盛んだった事が分かる

この神拝の栞は大変興味深い内容であった

「三體御本尊様奉迎記念」とあるエリザベス
三体の本尊と言う事で石鎚大神の事だと思う
木札に記された明治10年の物とは別に昭和32年にも
石鎚大神が奉納された事になる
この神殿には無いのだがどこに行ったのか?


この建物は平成3年3月に改築がされている

建物の奥に石碑があり山頂に向かって道がある

石碑には「霊峯 清宝山」とある ! !
この山は日高村では山岳信仰のお山のよう

裏側にはこれまた興味深い内容である
富士浅間大神・石鎚大神勧請と当地寄進の事が記されている

ここから山頂へは30秒の道のり

おぉぉぉ~~っ ! !

山頂の清宝山石鎚神社だ ! !

手水舎もあるが文字は何も無い


奉迎碑がある ! !
これもまた微妙なバランスで建っている

ひじょう~に興味深い内容であるエリザベス
「石鎚神社明治十年五月奉迎」「大山祇命尓後改称清寶山」
石鎚神社を奉納すると同時に
大山祇神を清宝山に改称したとある ! !
日高・佐川地区に多く見られる大山祇神社と石鎚神社
一緒に祭る (または合祭) 原形とも言える内容だ


左側の祠は屋根が大きく割れ扉が片方ない ! !

石鎚大神が見えているが痛みも激しくかなり古いようである

石鎚大神 エリザベス
おそらく明治10年5月勧請の石鎚大神だろう

隣の祠は空っぽで側面に「昭和九年三月」とある


右側にも祠があるが中は空っぽ
奉迎碑からすると大正12年勧請の高山荒神宮の
可能性が高いが定かでは無い


左側にも社があったような石積みがあるが
もう何も残っていない

石鎚神社の祠は南向きに建てられ正面の展望は無い
こうやって新たに発見して最後に思う事は
やはり石鎚山はすばらしい ! ! と言う事である

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