鬱と戦った結果 5 | どんな人生でも必ず好転するから楽しみに待ちましょう!

どんな人生でも必ず好転するから楽しみに待ちましょう!

看護師であり、心と体のコンサルタントでもあるもある私が10年に及んだ鬱との闘いを通して学んだことや感じたことを柔らかく綴っていきます。
今、不安や辛いことがあって膝を抱え蹲ってしまっている方々の力になれるような…
そんな月明かりのようなブログです

こんにちは。心と身体のコンサルタントななちんです(*^.^*)

閉鎖病棟でいろんな体験をし、やっと社会復帰出来ましたが、そこも私にとって決して楽しい場所ではありませんでした。

自宅療養を経てやっと職場復帰し、看護師として再スタートを切りました。
1週間は午前中だけ、次の週からは体調を見ながら少しづつ業務に入っていくということになりましたが、
ステーションに入っていくと同僚の看護師や先輩看護師が「大丈夫?またよろしくね。」などと声を掛けてくれました。
ただ、何となくそこには言いようない何か棘のようなものを感じました。
しかし自分の行動が沢山の方に迷惑かてしまったわけですし、良く思っていない人も当然いることは覚悟していたので、これもしょうがないと自分に言い聞かせ頑張ることにしました。
 
しかしその棘のようなものは、本物の棘でした。
仕事が始まると皆さんそれぞれの仕事に取り掛かりますが、私には仕事は割り当てられていなく、いろんな書類の整理やお掃除、薬剤課からきた薬の整理など雑用ばかり…
それでも体慣らしの為と思ってやっていましたが、いつまでたっても他の看護師みたいに業務をさせてもらえなく、課長に聞いて見ることにしました。
「私、そろそろ普通に仕事できます。いつからやらせてもらえるんでしょうか」と…
すると、こんな答えが返ってきました
「気持ちはわかるんだけど、〇〇さんまだ薬飲んでいるでしょ?
鬱の薬飲みながら看護業務するのは難しいんじゃないかって思っているのよ。
それにね、少し言いずらいんだけど、他のスタッフが不安がっていてね…
私もいつも見ているわけにいかないし…
う~ん…」
私は確かに鬱から抜けたわけではなく、薬で調整して社会生活ができるだけの状態にあるだけ。
こう言われてしまうと何も言えません。
他のスタッフが私と一緒に仕事をすることを不安がっている、嫌がっている…
 
解っていたし、気づいていた!
ただ、認めたくなかっただけ…
 
悩んだ末、結局私はこの病院を辞めることを決断しました。
同時にこれから先、鬱であることを誰にも知られず、隠し通して看護師として生きていく事も決断したのです。
しかしこの決断が10年という長い間、鬱と戦う決断に繋がっていったのです。
 
自分の弱さとゴミにもならないプライドがそうさせたのだと思います。
 
次回は鬱から離れて、「〇〇子は悪い子だ」と母親に言われ続けた女性のお話を書きたいと思います。
ご本人様に感謝ししっかりと書かせて頂こうと思います。
 
今日も読んで頂きありがとうございました。
貴方の幸福を心よりお祈り申し上げますv(^-^)v