赤平大とはvol.11
私がテレビ東京でニュースキャスターをしていた時の取材記
08年6月に行った
「タンザニア編」vol.1
vol.2
vol.3
vol.4
さらに08年7月、屈辱の手術・入院記
赤平日記には載せていない
「裏・赤平日記」vol.5
vol.6
vol.7
vol.8
そして08年8月、衝撃の初中国。
手術から20日くらい。
肺を一部摘出してでも行きたかった、北京五輪。
想像を超えた魅力がありました。
北京五輪編、最終回!!
08年9月5日掲載
「北京五輪取材記(3)」
五輪の開会式は、『その国・そのとき』を表すといいます。
北京五輪の開会式には、確かに中国を凝縮したものが見えた気がします。
私が北京に到着したのが8月2日(土)。
到着して早速、五輪会場の『鳥の巣』に向かうと、『鳥の巣』や『ウォーターキューブ』を含む五輪施設のある敷地は完全に関係者以外立ち入り禁止。
2メートルほどのフェンスで囲まれ等間隔に警察が立っています。
五輪前最後の土曜日、そしてこの日は開会式のリハーサルをやるということで、日が沈むにつれて、フェンスの周りには信じられない勢いで人が集まってきます。
それは野次馬というよりも、大群。
1000人、2000人レベルじゃない。数え切れません。
恐怖すら感じます。
身動きが取れなくなるくらいの人の波にさらされていると、突然『鳥の巣』から花火が上がりました。
と同時に大歓声。
リハーサルが始まったようです。
会場の中は遠すぎてまったく分かりませんが、花火だけは見えます。
みなコレを目当てに集まっているのです。
しかし中には『何があるか知らないけど、みんなが歩いていたから、ついてきたんだ』のような人も。
これは五輪期間中、街のあちこちで聞いた言葉。
現地の人の話では『中国人は人が集まっていると、どんどん集まっちゃうんだよ。
理由も知らずにね』とのこと。
好奇心なんでしょうが、人数の規模が大きすぎて慣れない日本人には脅威に感じます。
その、中国の人の波の集合体が、北京五輪の開会式に思えました。
様々な批判はさておき、私が会場で感じたことをそのまま記します。
(開会式直前の鳥の巣 時代の息吹を最も感じた瞬間です)
メディアセンター『IBC』から『鳥の巣』に向かう途中、セキュリティチェックを2回通過します。
ひとつは空港と同じ厳しいチェック。
私の後ろからやってきたアフリカのメディアが揉めていました。3m×1.5mくらいの国旗を持ち込むことに、セキュリティが難色。
この時期の北京では、横断幕や国旗などを競技場に持ち込むのは厳しい規制がありました。
アフリカのメディアに話を聞くと、『ただの旗だし、そんなに大きくないのに...』と困り顔。
結局、大きいものは持ち込めず、1m×1mくらいの国旗を持ち込んでいました。
(このくらいは良いのでは?と思いますが、このときの北京は厳戒態勢だったので…)
とてつもない人ごみの中『鳥の巣』に入ると、各席に応援グッズなどの入った袋が置かれています。
中には、電飾灯・豪華なパンフレット・水・そして『風呂敷のような赤い布』など...
会場中に小刻みに配置されたボランティアが、応援グッズの使い方を観客に熱心に教えています。
開会式、開始。
観客9万人を超える『鳥の巣』は、異空間です。
日中、手元の温度計で40度を超える日でした。
夜でも非常に暑く、あっという間にシャツは汗だく。
二度と見られないであろう多くの人員を動員したチャン・イーモウの演出は、圧倒的。
しばらくして大きな地球儀がフィールドに現れたとき、ボランティアが『風呂敷のような布』を広げて、大きく振るようにと指示。
会場中で『風呂敷のような布』が揺れています。
会場全体で風呂敷が揺れています。赤い風呂敷です。
会場が真っ赤に。
ほぼ同時に、フィールドの地球儀も、真っ赤に...
猛暑の中4時間以上の開会式だったため、心配なことも。
フィールドの中国人ダンサーやボランティアが倒れ担架で搬出。
脱水症状を起こしたボランティア青年がフィールドでフラフラしていると、係員が走りよって水を飲ませる。
選手たちは多くが座り込んで、耐え切れず帰る選手も多数。試合がありますからね...
深夜1時に開会式が終わり、フラフラになって『鳥の巣』を出ると、いつもは青い『ウォーターキューブ』が真っ赤になっていました。
当日は感動に震えました。
今も心に残る印象は、『人』『赤』『自己主張』です。