赤平大とはvol.10
私がテレビ東京でニュースキャスターをしていた時の取材記
08年6月に行った
「タンザニア編」vol.1
vol.2
vol.3
vol.4
さらに08年7月、屈辱の手術・入院記
赤平日記には載せていない
「裏・赤平日記」vol.5
vol.6
vol.7
vol.8
そして08年8月、衝撃の初中国。
「北京五輪編」vol.9
手術から20日くらい。
肺を一部摘出してでも行きたかった、北京五輪。
想像を超えた魅力がありました。
08年8月27日掲載
「北京五輪取材記(2)」
五輪開催で、北京には様々な変化がありました。
空港・道路・鉄道の交通網。
では、私が接した上記のモノはどうだったのか。
まず空港は前述しましたが、ぞっとするほど広く綺麗。
五輪期間中ということで、セキュリティはとんでもない。
空港では、金属探知機通過・銃器所持チェック・警察犬や警備員による金属探査・警備員が実際にボディチェックと様々。とくに実際に体を触られる時は、1分間くらい念入りにチェックされました。
これだけ緊迫した空港ですが、レストランは中国的。
空港内レストランで食事をする時、店員がオーダーを間違えて持ってきたので通訳さんが指摘したところ、『私は間違ってない、あなたたちが間違えたのだ』と激怒。
上司も出てきて『私たちは悪くない』と一辺倒。
この類のトラブルは北京のレストランでほぼ毎回、慣れます。
サービス業とはなんぞや。
道路。
五輪専用レーンというものがあり、これは相当効果がありました。
片側5車線くらいある幹線道路の1車線に『五輪マーク』がついていて、そのレーンは五輪専用パスを持った車両しか通れません。
選手はもちろん、五輪関係者や五輪プレスが使うのですが、渋滞の多い北京でスイスイ。
中国人ドライバーは『北京でこれだけスイスイいけるのは、国賓級だよ』と感動していました。
移動時間が読めるというのが、五輪にもメディアにも素晴らしい効果。
交通規制も効果があったようです。
オリンピック会場近くのあちこちで規制があり、五輪関係車両しか通れない道路がかなりあります。
このおかげで取材もしやすい。
ただ、規制区域の中にオリンピック会場があるため、入れるタクシーも少ない。
これが非常に大きなマイナス面を生みました。
8月8日の開会式終了したのは夜中の1時。観客が家路に急ごうとしても、規制のためタクシーが無い。会場は郊外ですし。
地下鉄は、開会式ということで特別に24時間運行でした。
『地下鉄を使えばいいじゃないか』という声が聞こえそうですが、北京の地下鉄は増えたといっても、東京のように全域を網羅しているわけではない。
地下鉄では帰れない市民が圧倒的です。
私もタクシーで帰ろうと思ったのですが、タクシー待ちの行列はすでに100人近くに。
タクシーは滅多に来ない。北京ではただでさえ、タクシーの乗車拒否は日常茶飯事なのに..
.
多くの人は歩いて車通りの多い場所へ。
私もそうしました。
1キロほど歩いたところにある大通り。すでに200人以上がタクシー争奪戦を繰り広げています。
道路のど真ん中でタクシーを強引に止め、勝手にドアを開けて乗り込むたくましい北京市民。
さらに1キロ先の交差点へ。まだ100人ほどがタクシー争奪戦。
道中、あきらめ力尽きて路上で眠る市民も多数。
もう1キロ先へ...
そんなこんなで、2時間歩きようやくタクシーを捕まえたのが朝4時近く。
開会式以外にもこんな日が3回ありました。
現地の人は『五輪で交通を整えたのに、五輪に来ると移動手段が無い』とチクリ。
地下鉄。
新しくできた路線は、日本のモノより綺麗な印象です。
ホームは落下防止の二重扉。
多くの液晶テレビが設置されていて、ニュースが見られる。
車内も日本の地下鉄とまったく同じです。
駅では荷物検査をしています、が、かなり雑。
私は4回地下鉄に乗りましたが、2回はスルー。
不安になります。
『並ぶ』という習慣が少ないため、やはり降車を待ってから乗車、というマナーはありません。
『ワレサキニ』です。
車内での携帯の使用も気にしていないようでした。
様々な規制で、生活に不自由が生じていても『地下鉄がたくさんできて便利になった。
五輪のためだから規制も全然問題ない』という北京市民の声が多いです。
(以下次号へ)