それは誰にも口にしたことがないなんて

おそろしいなぁ

見たこととか、

話したこととか、

あるいは忘れたこともだ

 

わたしの好きな人はあの角を曲がってとっぷりと消えたことになってゐるが

わたしは熱心に私だけが二三口をきいただけで

その言葉はそのままなっている

 

けふもまたなぐさめに唱歌を唄ふ

不意と昔の歌が口の端から出てくるのだ

不思議だなぁ

一方でその言葉はそのままに私の中に放り出されている

海岸に打ち捨てられて船の胸骨のやうに滅んでいくんだ

だんだんあちらの方に近づくに従って

わたしは次第に観念する

嘘八百でなく真心(しんじん)

呪文とか符丁になる

手を胸の前に合わして、掌(たなごころ)にすっと

「愛してる」だった

オドラデクは玄関とか階段の下にそっと置かれて

どうかすると埃のやうにくすくす笑ったりする

気が付くといつの間にかゐなくなっていた

 

1920、カフカ「家父の心配」■符丁「オドラデク」をめぐるごく短い作品。

奇妙で、不可解な、しかしどこかかわいらしい生き物、それがオドラデクだ。

 

倉石智證

「鰯雲人に告ぐべきことならず」加藤楸邨

「缶酎ハイ、プシュ 空に鰯雲」プレバト

 

/むかし人の「秋刀魚の詩」や秋の空

/腸(はらわた)は卸しがいいと妻が云ひ

/脂のりし妻に秋刀魚の脂のりし

/落花生を吊るし鴉と根競べ

/木の実拾い縄文人の躁がしさ

/焙烙で煎りて銀杏の翡翠かな

/あの橋を越えて軽トラ暮れの秋

/栗の実の落ちて座を占む確かかな

/畝に来て仕舞ひ胡瓜を測るかな

/指で測る仕舞ひ胡瓜の青さかな

/水落ちてムラサキシキブ色深む

/傾いて秋明菊のラッタタタタ

/水沁むや秋の便りを洗車して

/秋海棠秋の名前を紅の色

/温かいたぬきうろんの家族かな

 

倉石智證

 

ポーポーとそんなのおかしな話だ

電線に蝸牛が這ってゆくゾ

落ちたら踏み割られる

子どもが取り替えられて

取り換えばや

戦場はきな臭い

水を汲みにゆく

ポーポーとそんなのおかしな話だ

海に落ちた

最初は魚かと思ったら

魚に水鉄砲を啖う

1951駒井哲郎「消えかかる夢」

 

みんなが仲良かったわけではないが

腹が破れた奴もいた

ずいぶん見通しがいいんだ

お腹の破れた遠い向かうの景色の中に

どうも白旗を盛んに振っている人がゐる

いっつもさうやって騙されるんだなって

ポーポーっておかしな話だ

死んだ人が生き返って来る

でも何かを告げるわけではなく

いや、降参降参て

何千の人たちが何万の人たちになって

そんなの可笑しいよって

列を組んでざっざッと

顔の見えない真っ暗な集団が

すぐの脇腹を通り過ぎて行った

 

倉石智證