『続 窓際のトットちゃん』(著者)黒柳徹子  2023年10月   株式会社 講談社 | 生涯学生気分

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後期高齢者ですが「生涯学生気分」の境地で若々しく、知的な記事を発信して行きたいと思っています。

 

「出版社よりのご案内」

国民的ベストセラー、42年ぶり、待望の続編!
国内で800万部、全世界で2500万部を突破した『窓ぎわのトットちゃん』。
世界中で愛されている、あのトットちゃんが帰ってくる!
泣いたり、笑ったり……トットの青春記。

 

【本書の内容】

・東京大空襲の数日後、青森を目指して、ひとり夜行列車に乗ったトットを待ち受けていた試練とは?
・「おめえのジンジョッコ、描いてみろ」。疎開先の学校で、みんなとなかよくなりたいトットが、考えつい方法とは?
・「咲くはわが身のつとめなり」の言葉を胸に、トットが通った女学校や音楽学校の思い出は、映画、オペラ、ラーメン、それから?
・「そのままでいいんです」。NHKの専属女優になりたての、トットが救われた一言とは?
・アルバムからお借りした写真や、いわさきちひろさんの絵もたっぷり。

【黒柳徹子さんからのメッセージ】
私は、どう考えても『窓ぎわのトットちゃん』よりおもしろいことは書けない、と思っていました。私の人生でトモエ学園時代ほど、毎日が楽しいことはなかったから。だけど、私のようなものの「それから」を知りたいと思ってくださる方が多いのなら、書いてみようかなと、だんだん思うようになったのです。よし!と思うまで、なんと42年もかかってしまったけど、書きはじめると、笑っちゃうこと、泣いちゃうこと、それから戦争のことも次々に思い出されて……。

 

著者紹介

黒柳 徹子
東京都生まれ。俳優、司会者、エッセイスト。東洋音楽学校(言・東京音楽大学)声楽科卒業後、NHK専属のテレビ女優第1号として活躍する。『徹子の部屋』(1976年2月~、テレビ朝日)の放送は、同一司会者によるテレビ番組の最多放送世界記録を更新中。1981年に刊行された『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)は、国内で800万部、世界で2500万部を超える空前のベストセラーに。1984年よりユニセフ親善大使となり、のべ39ヵ国を訪問し、飢餓、戦争、病気などで苦しむ子どもたちを支える活動を続けている。おもな著書に『トットチャンネル』(新潮文庫)、『チャックより愛をこめて』(文春文庫)、『トットちゃんとトットちゃんたち』(講談社)などがある。

 

 42年前の『窓際のトットちゃん』、読んだような気がしますが、はっきりしませんね。

世界的なベストセラーとのことですが、この『続 窓際のトットちゃん』も素晴らしい、82歳の小生にとっては、ほぼ同時代を共にしていますので、楽しくも懐かしくもあって一気に読みました。

 

話し言葉をそのまま書き写したような文体で、平明で率直で気取ったところもなく、トットちゃんの人柄の出た素敵なエッセイだと思いました。

太平洋戦争前夜の「幸せな日々」から父親の出征、一夜で死者10万人の東京下町大空襲を経て青森県三戸のりんご村諏訪平への疎開、敗戦後の帰京、香蘭女学校・東洋音楽学校の思い出、NHK放送劇団での活躍と。 「トットちゃんの青春日記」という感じですね。

トットちゃんの独特な振る舞いも楽しいのですが、ミッションスクール育ちの母上の「肝っ玉母さん」顔負けの多彩な活躍ぶりが印象深く、<まさにこの母ありてこの子あり>の世界でした。

 

いくつかの印象的なエピソードを列記してみますと

・トットちゃん一家は音楽一家で、父親が日本を代表するヴァイオリニストでNHK交響楽団のコンサートマスター、母親が東洋音学校の声楽科出身、トットちゃんも五歳からピアノ学習(戦争で中止)、弟さんもバイオリン学習。

歌手の淡谷のり子さんも東洋学校音楽学校出身でトットちゃんの母と仲が良く来宅したことも。また父親の関係で小沢征爾の師匠の東邦音楽学校の齋藤先生とも親交あり。

トットちゃんも母と同じ東洋音楽学校出身で、オペラ「トスカに」に感銘し、オペラ歌手を目指した。因みにトットちゃんの音域はコロラトゥーラ・ソプラだそうだ。

 

・トットちゃんの母親は料理、裁縫などの家事が得意で、住居として借りたリンゴ畑の真ん中の作業小屋(八畳程度)の室内のリフォームも器用にこなし、農協に努めながら、東京からの買い出し人目当ての小さな食堂も経営し、地元の青物市場、魚市場に出入りし、仕入れた野菜や海産物の行商も行った。ついにはイカの一夜干しを背負い、東京に出かけ田舎で不足する衣類や生活用品と交換し、時には掘り出し物を得るため質屋にも顔を出し、地元で売りさばいた。また声楽科出身を活かし、結婚式などの宴会行事で歌を披露するなどで小遣いを稼いだり砂糖菓子などの引き出物をいただいた。

こうして後年東京に赤い屋根と白い壁の家を建てるほどの資金を獲得した。まさに商才のあるたくましい女性であった。

 

・トットちゃんは、疎開にあたって上野駅の大混雑で母とはぐれて、一人で青森に向かった満員列車の中でトイレにも行けず、親切なおばあさんに抱えられて、列車が駅に停車の際、窓から尻を突き出し列車の壁に向けて放尿した。おばあさんが先にモデルを示した。多くの人も当然のように行っていた。小生もこんな話は初めてで、びっくりでしたが、「さもありなん」ですね。このおばあさん、盛岡駅で降りる際、くちゃくちゃに丸めた新聞紙をトットちゃんに、開けて見れば茹でたジャガイモ。

 

・トットちゃんは短期間で青森弁を習得。「おめえのジンジョッコ、描いてみろ」と疎開した際の教室で言われ、ジンジョッコ(人形)の絵を書いたところ、皆に「うめー、うめー」とほめられ仲良しになった。

また、駅のホームで学生服姿の中学生からラブレターをもらって開けてみたら「ふかしたてのサツマイモのようなあなたへ」とあり、ぎゃふんして破り捨てた。海軍兵学校出身の副牧師に恋をし、オルガン演奏者に申し出て副牧師の近くにいるように努めたが、まもなく彼は転任した。

学校ではリンゴの袋貼りを率先してやった。時には肥だるも友人と担いだ。内容物が被らないよう前を担いだ。鉄橋で貨物列車で出会った際は、枕木にぶら下がり一命をとりとめた。

鉄棒は苦手だったが、ぶら下がりは好きだった。

 

・42年前の『窓ぎわのトットちゃん』では、「君は、本当はいい子なんだよ」と言ってくれたトモエ学園の小林先生がいましたが、トットちゃんのNHK放送劇団員の苦節の時代にも「トットさまの声と節回しはゼンマイ仕掛けのフランス人形」みたいだと言いながらも、忍者のごとく現れ見守ってくれるNHK文芸部の大岡氏がいて、飯沢匡作の『ニン坊、ヤン坊、トン坊』の大ヒット、ひいてはバラエティ音楽番組『若い季節』、最年少司会者となった『紅白歌合戦』につながる契機となった恩人だった。トットちゃんは運に恵まれた。

 

・「運も才能」と言いますが、疎開時代でしょうか、若い易者に手相を見てもらったら、「結婚は遅い、とても遅い。 全国津々浦々に名前が知れ渡るような人になる。 お稲荷さんを大事にしなさい」と言われた。

 

以上なんの脈絡もなく書き連ねましたが、この『続 窓際のトットちゃん』は、面白い、楽しいエピソードが満載でお勧めです。

老若男女、小学生も含めて読めます。著者の黒柳徹子さんが望んだように、戦争を知らない若い人々に特に読んでもらいたいですな。