サタデー・トピックス 天皇皇后両陛下「ご成婚50年」秘話 | 生涯学生気分

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後期高齢者ですが「生涯学生気分」の境地で若々しく、知的な記事を発信して行きたいと思っています。

「週刊新潮」最新号を書店で立ち読み、いや図書館で閲覧しました。主なところを紹介しましょう。

☆「箱根のホテル」で受諾を決めた正田家「4日間の家族会議」
  ホテルは「箱根冨士屋ホテル」、お部屋は西洋館の一室で特別室ではなかった。ご両親と兄の巌さんと4人。ホテルの従業員は正田家が普段から利用していることもあって普通の逗留だと思っていた。兄の巌さんは美智子さまの苦労を思って最後まで結婚には反対していたとのことであります。
  この家族会議の一週間後正田家から宮内庁に受諾の返事があった。

☆皇室会議「カトリック」問答は「岸総理のヤラセ」だった!
  美智子さまの母校の聖心女子大はカトリック、正田家もクリスチャン一家。しかし、美智子様は聖心在学中に学校側から洗礼を勧められても“よく考えてみます”と返答するのみであったと。
皇室会議で全員一致の採決前に岸総理が美智子さまがカソリック信者なのかどうか確認をする質問をしたのは、宇佐美宮内庁長官が事前に岸総理に依頼してあったとのことです。

☆旧皇族「梨本宮妃」が日記に書いた「日本ももうだめ」
  日記は真実の話。「国民がこぞりて祝ふはづなるに見世物ごとき騒ぎ多かる」という和歌も詠っている。旧皇族の梨本宮妃の伊都子さんは旧佐賀藩主鍋島直大侯爵の次女で大正天皇の幼馴染で后になる可能性もあったほどの人。
平民美智子さまの皇太子妃決定には大ショック、旧皇族の一人として当時の学習院OB会の常盤会全員の気持ちを代表するものでもあった。

☆「中村メイコ・富岡多恵子・正田美智子」は少女雑誌「投稿3人娘」
  少女雑誌の名は『ひまわり』。美智子さまは10歳から15歳の頃、詩を投稿。中村メイコと覇を争うように常に投稿されていた。その文才は、昭和30年読売新聞募集の「成人の日記念感想文」コンテスト2位入賞で証明。その入賞作品のタイトルは「虫くいのリンゴではない」。
どういう理由か美智子さまの「投稿好き」は宮内庁にタブー視され、中村メイコの事務所の話では宮内庁職員から他人に話さないでと頼まれたとのことで、中村メイコ本人もずっと黙秘している。

☆「美智子さまと三島由紀夫」のお見合いは「小料理屋」で行われていた
  元毎日新聞記者で評論家の徳岡孝夫氏がバンコックの特派員であった頃、インド旅行の帰途立ち寄った三島由紀夫がホテルのプールサイドで座っていたときにポツンと言い出したとのことで、家族一緒に歌舞伎座かどこかで芝居を見て食事したとのこと。
その小料理屋は銀座6丁目の割烹「井上」。女将の故井上つる江さんが週刊新潮に証言しているとのこと。この割烹「井上」は運輸省、国鉄関係者がよく利用し運輸省出身の佐藤元首相や国鉄総裁も訪れていたそうだ。