なーんだ、今日そんなに寒くないじゃん。かっかっかっ

(↑着込んでいる)

というほどでもないもんね。かっかっかっ

(↑ヒートテックを着ている)

それだって一番薄手のやつ。

それでこんなにあったかいのだなー。

科学の力は偉大だ。

 

それにしても...

はーっ、やっぱりイングヴェイのFinal Curtainは名曲だなぁ。

あの重みと美しさ。はーっ

3回も聴いてしまいました!

(↑単細胞)

...あんなに重く美しい曲を好む単細胞がいるか?

(ここにいます)

ああ、そうか。

(↑単細胞なのですぐに納得してしまう)

...

 

それにしても昨日の雷は何かの暗示だったのかな?

(といいますと?)

いえね、Final Curtainでは最初と最後に遠雷が聴こえるんですよ。

今日急遽あの曲を聴きたくなったのは、昨夜の雷にさそわれてのことではなかったかと。

(↑文字通りの単細胞)

ホットケ。

 

でもやっぱり素晴らしいなぁ、昔のイングヴェイは。

(↑一々昔と断る)

あの曲が持つ重みには何度聴いても惹き付けられる。

 

あの美しさと半端ない重みの融合は後期ロマン派と通ずるものがある。

(ええ?!イングヴェイだよ?)

そうですが?

(バロックじゃないの?)

それがそうでもないんだな。

最初の2枚、つまりRising ForceとMarching Outではもろバロックだが、実はOdyssey以降は寧ろロマン派の影響の方が強まっているような気がする。

 

あ、その間のTrilogyはなしね。

あれは単にアメリカっぽく仕上げようとして駄作化した。

「...」(←イングヴェイ)

 

だがその後の数作、つまりOdysseyとEclipseの大半の曲と、それにこのFinal Curtainからはバロックより寧ろロマン派的な印象を受けるのだ。

ギターソロなどにはバロック的な旋律が顔を出しているのだろうが、それより曲の雰囲気やサウンドのロマン派的な印象の方が強く感じられる。

 

本人は「ロマン派は好きじゃない」とか何とか抜かしたそうだけどもね。

あれは自分が何から影響受けたかも分かってないような奴なので。

(単なる気のせいじゃないのか、単細胞?)

...単細胞は余計じゃ!

あれは絶対ロマン派の影響を受けている!

(断言して大丈夫か?)

大丈夫だと思う。

ドッケン節に玉虫君と共通するものがあると書いた時は「自分だけが感じてるに過ぎないよなー...」とまさかと思いつつ遠慮気味に書いたら、後に実は本当に玉虫君から影響を受けていたと判明したぐらいだし。

あれにはべっくらこいた!

フッ、我が感性は自分でも思い及ばないほどなのだな。フッ

(↑すぐ調子に乗る)

と自信を付けたので今回も間違いないでしょう。

 

だから実を言うと、カバさんイングヴェイのヴォーカルアルバムではEclipseが一番好き。

(...また変わってないか?)

えーと...

それについてはイングヴェイがどこでロマン派の影響受けたかも含め、いずれ再開するイングヴェイシリーズで取り上げることにしましょう。

(来年か)

えーと...

できれば年内に書きたいと思ってますが。

(何にせよ書く頃にはまた変わってたりして)

ホットケ。

これは変わらないと思うよ。

元々私はバロックよりロマン派、それも後期ロマン派が一番好きだから。うきゃっ

 

だからそれを書くためにも!

その前にネタの渋滞を解消しましょう!

(すッ飛ばせば?)

そうはいかない。

今日これから書く内容は札幌市の文化事業に対する苦言でもある。

(今度はキタラじゃなくて札幌市かい)

キタラも嫌いだが、その親玉に問題があることがもっと大問題!

(だんだん話が大きくなるな...)

 

まずは昨日の続きから!

さっさとプログラム載せてしまいましょう。

 

後半: レスピーギ 交響詩「ローマの松」

指揮: アンドレア・バッティストーニ

オケ: 札響

 

つまり1曲です。

(待たんかい!)

何か?

(前半はどうした、前半は?)

だから前半は間に合わなかったと書いたでしょうが。

(普段はそれでも前半から書いてないか?)

急いでるもので。

(何故隠す!)

隠してないよー。

ただ声楽主体だったから曲数多くて面倒なんだってばー。

(もしかして...)

もしかして?

(声楽主体だから前半どうでもいいと思って遅れたのと違うか?)

えーと...

確かに声楽だけなら遅れてもいいと思っていたのは事実ですが...

聴きたい曲もあったのです!

(ええ?!声楽で?)

なわけないだろう、この私が。

(↑声楽嫌いのクラシックファン)

イングヴェイのFinal Curtainの方が余程名曲です。

(...)

 

後でプログラムよーく見て気付いたんですけどもね、前半は序曲など短いオケ曲3曲の間に声楽曲が各々2曲ずつ入っているという構成で。

これが何を表しているかというと...

声楽曲だけだと私のように後半だけ来る人ばかりになるのを恐れてのことではないかと...

つまり声楽曲を聴きたい人というのはやはり相当限られる、それだけアホ臭い、ということではないでしょうか?

(せめて「人気がない」と書け!)

はぁ、すみません...

でもイングヴェイの曲は勿論、他もひっくるめてHR/HMの方が余程価値の高い曲が多いと思ってるもので。

(...)

イングヴェイやドッケン、昔のヨーロッパ、それから先日書きました数曲など特にお薦めです。

是非聴いて下さいまし!

(...)

 

で、何を聴きたかったかというと、ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。

これは結構好きでして。

演奏聴く前は目一杯期待してた暑苦しい顔の指揮者でもありますし。

「...」(←昨日から散々暑苦しい顔呼ばわりの指揮者)

今日はちゃんと本名出してあげたでしょうが。

(だったらそれで呼ばんかい)

めんどくさい。

「...」(←可哀想な指揮者)

 

とにかくチケット取った動機が「ローマの松」と並んでこの「運命の力」。

どちらもイタリアの作曲家。

そして指揮はあのエネルギッシュなまでに暑苦しい顔のイタリア人!

「くどい!」(←バッティストーニさん)

この組み合わせは是非聴きたいと!

声楽が混じってるのも厭わず取りました!

「...」(←この日出演の名前も出してもらえない声楽家)

めんどくさいんだってば。

(...)

 

ただ「運命の力」が前半後半どちらでやるのかまでは記憶してませんで。

でもきっと後半だろうと。

だって「ローマの松」だけでは後半短すぎるでしょ?なのに...

くそったれー!!!

前半間に合わないとなった時、電車の中でネットで調べてがっかり。

つまり随分と短いプログラムだったわけよ。

もしかして手抜きか?

実は東京の方で同時期もっともっと公演してたらしいし。

地方を舐めとんのか、貴様?

 

それにしてもどうしてイタリア人とわかったのかな?

聴く前は一切情報は入れないようにしてるのに。

白紙状態で聴きたいですからね、プロフィールとかは絶対読まないことにしている。

なのに...

ああ!あの暑苦しい顔見て「これはイタリア人しかないだろう」と!

「...」(←指揮者)

 

実際イタリア人でしたよ。

更に期待が高まったのは、暑苦しいだけでなく自己陶酔型にも見えたから。

しかも建設中の凄いホールのこけら落とし公演の指揮者に抜擢でしょう?

これは暑苦しいまでに情熱的且つスケール大きい演奏が聴けるのではと...

 

期待して聴いたらば...

実はもう殆ど覚えてないのだが。

直後にちょこっと書いたの見ると、音は洗練されてたらしいね。

でも情熱もスケール感も全くなかった。

 

最後の≪アッピア街道の松≫はあのエネルギッシュなまでに暑苦しい顔そのままにエネルギッシュに進軍して来て欲しかったのに!

(注:アッピア街道の松は古代ローマ軍の進軍を描写しております)

あれ凄い演奏だと本当に凄いのだけどね。

全然だったなー。

 

どちらかというと、かなり軽い感じの指揮だ。

ちょっとはイングヴェイを見倣って欲しいね。

(...)

あんな重みのない指揮者が凄いホールとやらのこけら落とし公演に抜擢?はぁ?

と肩の力が抜けました。

 

そして我が批判の矛先は札幌市の文化事業に向かうこととなるのです。

(...)