さて、洗濯も干し終わったことだし、さっきの続きです。

うーん、何か所帯臭いなー、初っ端から。

まぁいいや。

昨日受けた衝撃に比べれば。

 

そう、あれはショックだった...

ファミリールームは見に行く人にはいいと思う。

ホールが小さいから私が普段座る大ホールの1番奥の方とかよりずっとよく見える。

コンタクトをしていればの話だが。

 

だが...ガラスで隔てられているからよく聴こえない!

生で聴くようなのとは全然違う。

だから途中で入った前半は演奏を云々できる環境ではなかった、はっきり言って。

 

プログラム見るとね、前半は

リスト「ハンガリー狂詩曲第2番」

バッハ「フランス組曲第6番ホ長調」

バルトーク「6つのルーマニア民族舞曲」

同「セーケイ人たちとの夕べ」

同「オスティナート」

 

聴きたかったなー、リストのハンガリア狂詩曲2番。

これオケで大好きなのだが、ピアノは1度も聴いたことないのだ。

ファミリールームに案内された時、弾き始めてたのが既に最後から2番目。うっうっうっ...

これもよく聴こえないし。うっうっうっ...

 

じゃあ何が衝撃だったかというと...

ホールのあまりの小ささとそれすらガラガラというあまりの客の少なさ...!

はっきり言って、私はこれまでクラシックのコンサートであんなにも小さなホールであんなにも少ない客というのを体験したことがない!

その程度の演奏家なら、別に構わない...が!

みゅーじ君だぞ!

未完の大器の。

滅多に演奏家を誉めない、というか、滅茶苦茶けなすことの方が多いこの私が今最も期待する...未来のヴィルトゥオーゾだぞ!

あまりに理不尽だ!

一体これは...何故なのだー!!

 

...名が売れていないということは...ここまで残酷なものなのか...?

幾らデビューしたての新人とはいえ...

みゅーじ君だぞ!

並のピアニストとはわけが違うんだぞ!

顔で売ってる怖ダル君

(↑決め付けている)

デビューがサントリーホールで完売だったという。

この違いは...この違いは...何なのだー!!!

やっぱりおかしい...

 

怖ダル君は決してしょうもないピアニストではない。

しかし...あれは並のピアニストに毛が生えた程度ではないか。

(大丈夫かなー?顔目当てのファンほど熱狂的だと思うんだが...)

「毛が生えた」と書いてるではないか。

あれだって単なる並ではないだろう。

(...)

なかなかの音を出す人ではある。

上天丼位にはなるだろう。

(...)

だが...

ここまで集客で差をつけられるような演奏でないことだけは確かなのだ!

生来持っている音楽的器の大きさで言ったら、恐らく怖ダル君はもう完成形。

その延長線上で磨かれ、円熟はしても、あれ以上のスケールにはなりようがない。

(あの...怖ダル君に何か恨みでも...?)

言いようのない理不尽さを感じてしまうのだ!

 

みゅーじ君は...

まだまだ全く未完だ。

全然出来上がってない。

昨日の演奏も大分問題があった、正直。

だが...この先の可能性は計り知れないのだ!

勿論、大化けせずにポシャる可能性も高い。

元々の器が大きければ大きいほど、その大成の可能性も不安定なのだ!

はぁはぁはぁ...

(↑またテンションが上がっている)

 

しかし...

変だな...

みゅーじ君も実はイケメンの筈なのだ。

いや私の好きな範疇には入らないが、ああいう顔は。

一般的な感覚からすれば十分イケメンなのだ。

(↑自分の感覚が一般的でないと自覚している)

でもあれかな?

今のこの何かと世知辛い不況の世相ではみゅーじ君みたいな甘々顔より怖ダル君のようにきりきりきりりっと怖い顔の方が好まれるのかな...?

 

...しかし...

こうなると怖ダル君は顔だけで売っているのではないということになる。

幾ら今の世相に受ける顔だからといって、ここまで差がつく筈がない!

...そういえば...外山何とかって有名な指揮者だか作曲家だかがいたような...

(注:怖ダル君の本名は外山啓介です、って一々本名紹介せにゃならんような書き方すな)

もしや...その親類縁者か何かでは...?

それならデビューがいきなり大ホール満席で4年かそこらでCDを何枚もリリースし、挙句はベスト盤まで既に出しているのも納得がいく。

生意気な!

(...)

 

...何と言うことだ!

(↑既に決めつけている)

ぎりぎりぎり...

(↑あまりの理不尽に歯ぎしりしている)

ぶるぶるぶる...

(↑あまりの理不尽に震えている)

ぎりぎりぎり、ぶるぶるぶる...ぎりぶるぎりぶるぎりぶる...

 

で、この日の演奏ですけどね。

(↑決め付けも早いが切り替えも早い)

まだまだ未完の大器のみゅーじ君はまだまだ八方破れであるのも事実なのだ。

いわば旅立ちを決意する前の芭蕉の股引きやさるまたのような状態。

(...どういう例えだ)

ほら、「奥の細道」の出だしに旅立ちを決意して股引きやさるまたの破れを繕ったというくだりがあるだろうが。

(みゅーじ君は股引きやさるまたか...)

 

しかし昔の人はもの持ちが良かったのだなー。

現代の人は破れたパンツなど捨てるだろう。

...はっ!

何故音楽の話がパンツの話に...?

(書き手が書き手だから)

...話を元に戻そう。

この日の後半のプログラム

 

ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番 悲愴」

リスト「ラ・カンパネラ」

同「コンソレーション第3番」

同「メフィストワルツ第1番」

 

「悲愴」は前にも書いたように、大好きな曲の一つ

でも聴くより弾く方が好きだな、これは。

今弾けないけど。

もうちょっと慢性腱鞘炎が良くなってもうちょっと練習できたらこれ位はまた弾けると思う。

(諦めの悪いサル...)

 

何を隠そう。

この曲には思い出がある。

北欧時代、某大学の音楽科に同じ大学のよしみで頼み込んで練習室を使わせて貰っていたのだが...

ある日受付で教授からのメッセージとかいう手紙を手渡された。

「ピアニスト嬢へ」という出だし(単なる嫌み(?)だろう)で始まるその手紙の趣旨は...要するに...

「ここのピアノを使うのを止めて下さい。私達の予算は余りにも少なく、ピアノが壊れても買い替えることができません」というものだった...

「...」(←ショックを受けるサル太郎)

 

その頃ピアノを壊さんばかりに(?)弾いていたのが...この曲だった...

その後幾ら頼んでも許可は下りず、また別の練習場所を探す羽目になった...

という苦い思い出がある。

(弾き方に問題があり過ぎたのと違うか...?)

乱暴なのは認めるが...

あんまりじゃないか!

壊す気なんてなかったぞ、まるっきり!

(...)

 

で、みゅーじ君の演奏ですけどね。

強弱の配分には僭越ながら私と凄く似てるなーと思う箇所もあれば全然違う所もあり...

でもそれ以上に違ったのがテンポや弾き方の配分かな...?

これも似たような所もあったりはしたのだが。

第1楽章はもう少しがしがし行って欲しいなーと思う部分も。

(おまえのががしがしし過ぎなんだよ)

そういうのが好きなのだ。

(...)

メリハリは凄くあるのだけども。

テクニックもパワーも雲泥の差だし。

 

...と思っていたら...あれ?

何でもない所でもろ音抜け。

別に特に難所ではない。

単なるケアレスミスか...?

と思っていたら...あれ?また...

というのが「悲愴」に限らず何箇所かあった。

いずれも物凄い難しい所とか、勢い余ってとかではない。

本当に何でもない、だから驚くような個所に限ってなのだ。

逆に並のピアニストなら弾きこなせないような(?)所ではミスがない。

このアンバランスは...

 

もしかして弾いてる最中もかなりムラっ気があるのかな?

それはそれでわからなくもない。

私もよく似たような音抜けをすることがあった。

ついうっかり上の空になったりした時に。

後で聞いたら実は医者に行くほど体調が悪かったらしいから、集中力が続かなかったのかもしれないが。

それにしても持ってる技巧と考え合わせるとあまりにアンバランス...

という所に寧ろさらなる可能性を見てしまうのだ。

(何かみゅーじ君の場合は何でもいい方に取ってないか?)

うーむ...それもあるかもしれないが...

でもやっぱり大器だと思う。

 

ラ・カンパネラは...

出だしの音が気に食わん!

みゅーじ君はさすがペダルの使い方も上手くてあまり多用しない。

下手なピアニストほどペダルを多用する。

音が繋がリ易いだけでなく、実はキイが少々軽くなって弾き易いのだ。

自慢じゃないが私はペダルを殆ど踏みっ放しだ。

だから音が濁って汚くなり易い。

なるべく踏み変えるようにしているが...

追いつかないのが悩みの種だ。

(踏まなきゃいいじゃないか)

衰えたテクニックをカバーするには踏まざるを得んのだ。

(↑そのくせスタジオでの練習は鍵盤の重いピアノの部屋を借りる矛盾したサル)

 

だから上手いピアニストかどうかはペダルの使い方を聴いてもわかる。

しかしだな...みゅーじ君。

この出だしはペダルを使って欲しいよ。敢えて。

音階は違えど同じ音の連打だからペダル踏んでも音が濁る心配もないわけだし。

ここは踏んだ方が鐘の余韻が残る。

鐘らしい雰囲気が出ると思うのだよ。

 

あと今回体調不良のせいかな?

全体的に軽めの演奏だった。

前回みたいな怒涛の部分が少なく。

(出たよ、「怒涛」が)

久々だろ?

(↑何でも怒涛が好きなサル太郎)

 

次の2曲は前回と同じ。

メフィストワルツはさすがに怒涛の部分は怒涛だった。

実際どう考えてもこの日1番難しいこの曲では、前回腕の疲労で弾き切れなかったクライマックスのアルペジオも何とこの日は弾き切った!

パワーも相変わらず。

 

これだけのテクニックとパワーがあって...

その潜在能力は計り知れないのに...

現実とは...名が売れていないということは...こうも残酷なものなのかぁー!!!

 

でも大成させるには余程の師が必要でないかなー?

その点で少々心配なのだ。

何と言っても今日本でついてる師の1人が清水和音氏。

あとの2人は知らないが、どう考えても清水氏の手には余る生徒ではないのではないかなー?悪いけど。

 

あの大器を大器のまま大成させるには、師の側にも余程の器がないと。

変に鋳型にはめ込むようなことをして欲しくない。

八方破れは八方破れのままでもいい位だ。

いや股引きやさるまたは繕ってからはいた方がいいと思うが。

(股引とさるまたから離れんか!)

いやサル繋がりなものでつい...

(...)

 

末永君て弟子とかとらないのかな?

(自分の趣味で言ってないか?)

わかるか?

でも末永君のほうがスケールの大きい演奏家だと思うのだよ。

まぁ良き演奏家イコール良き師では必ずしもないか。

師自身が一線で活躍していて自分の器を超える生徒を大成させるというのは殆ど不可能だろうし。

育てる方専門の相当な師でも探さないと...

 

アンコールは2曲も弾いてくれまして。

リストの「愛の夢第3番」と「ラ・カンパネラ」と同じ「パガニーニによる大練習曲」より第2番。

(「ラ・カンパネラ」は第3番)

どうせならこの練習曲集全部弾いて欲しいなー、今度は。

 

「愛の夢」はこれまた随分甘くて。

正直中ほどのクライマックスは怒涛で行って欲しかったが...

(また怒涛かい)

好きなもので。

でも「夢」なんだからこの方が正当なのかな?

私の弾き方だと中ほどは「愛の夢」というより「愛の嵐」だったからなー。

(というか、「愛の砂嵐」というか...)

何じゃ、そりゃ?

 

しかしあれだけの曲弾いた後に、まだあれだけ弾けるんだ。

と思った、アンコールの2曲目聴いて。

 

でね、でね。

その後何と!みゅーじ君のお母様とお話ししてしまったのだ。

化粧室でね。

大ホールならともかくこんな小さな所で外国人は珍しいなと思いまして。

「もしやハンガリーの方ですか?」と話しかけたら...

はっはっはっ...

(↑どこへ行っても図々しさは変わらず)

とても上品な感じの婦人だったよ。

お客が少なく悔しい思いをしていたので、「彼は才能ありますね!期待してるんですよ!」と力を入れてきたサル太郎でした。

ついでに「まだまだ未完ですね」とも付け加えたけど。

(やっぱり図々しい)

正直と言って欲しい...

 

ところで帰りなんですが...

外出たらもう暗かったので、自分がどっちの方角から来たのかもわからなくなりまして

(...)

ホールから出てきたらしい人に聞いて帰って来ました。

(やっぱりサルなのだな...)