究極の『空』とは。 | 神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし



上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
究極の『空』 
ちょっと寄り道です。
面白い発見がありますので。
大乗仏教の基本『空』とは?
簡単に素通りしてしまいましたが、過去のブログで、一度掲載です。
〔以下抜粋〕
『空』思想とは「この世のあらゆる存在・現象が現実には存在しない夢のようなものである」との思想ですが、実は、この真の意味は『ある』とか『ない』とかの両方の見解をともに滅してしまう・・・との思想です。
すべては真実である。
すべては真実ではない。
すべては真実であり、かつ真実ではない。
すべては真実であることはなく、また真実でないこともない。
これがすべての存在の真実の姿である〔=究極の『空』論〕
〔以上、抜粋より〕
上記の『詩』は究極の『空』を表す『詩論』です。
みなさんこの『詩論』が何を言ってるか?お分かりになりますかぁ~?
まるでむにゃむにゃですよね!
これを、今から分かりやすく要約しましょう。
「すべては真実である」
「すべては真実ではない」
「すべては真実である、すべては真実ではない」この二つの論だけに執着してならない。
同時に「この二つの論だけに執着してはならないという論」にも執着するな!と言うことです。
再度、言い換えるなら、『空』とは「物事(あるかないか?)に執着するな、そんなことに捉われるな」との意味になりますが、さらに究極の『空』とは、「その物事(あるかないか?)に執着するなと言うことにも囚われてはならない」ということです。
それが究極の『空』です。