自身が、
キレた理由を
口にしてしまうは、
【負け犬の遠吠え】
キレる瞬間までは
堪えていたのに、
自身が、
キレた瞬間から、
キレた理由を
口にして、
自身が、
そんなことで
キレてしまうことを
自身が
そんなことで
キレてしまった
理由を主張しだしては
自身がキレることを
肯定し始める。
それを聞かされる
他者が、その分迄
自身の目の前で、
堪えていても
肩を並べることもなく
堪えることなく
キレてしまうことを
己に自身に赦してゆき
キレてしまう人と
肩を並べてしまっては
自ら、キレる瞬間まで
何故に、堪えていたのかも
省みることも
挫けキレてしまった
自身の業、己が罪から
目を反らし
己自身が、
キレてしまった理由を
述べながら
自身が今、
どのような有り様と成り
この世に顕現しているかも
自ら、省みることもなく
自らが、この世で、
誰かや何かに、
キレてしまった理由を
情けない有り様で
他所へ責任転嫁しながら、
自らが、どのように
キレていったかを
己自ら、反芻する真似をして
他所の誰かや何かに
愛憎、怨憎を
覚えてゆくことを
己自身に自らが勝手に
赦してしまっては
自らが、其の今生で
誰かや何かに対して
キレることを
己自身のあたりまえにし
その瞬間まで
何故に、堪えていたかすら
理解出来なくなるほどに
自分本位で
自己中心的で我儘な
自己主体の
自身が何故に
キレたかを
己自ら、主張しだして、
自らの、そのような
主張を、自ら反芻し
繰り返してゆけば
可哀想に
人並みに堪えることが
出来ていた頃は、
遠い昔。
遠い昔を懐かしむだけで
己自らを正し直すこと
適わずには
感傷と云う
己の心に深い傷を
自ら穿ち
自身の過ち
己の傷を癒やすのに
誰かや何かの
理解や赦し、施しを
求めるように
何故に、己が
キレてしまったのかを
いくら主張しようとも
今、それを
聞かされた分
余計に、堪えている人と
肩を並べることは
ほら、もう
そのように適わない。
堪えながら
生きている人と
肩を並べるためには
先ずは、自身が
何故に道を逸れ
キレてしまった理由
なんてものを
自らが主張して
しまうことなく
キレてしまった
自身を恥じて
その分の恥辱、屈辱を
自ら、一人堪え
キレる前の己が
一人堪え、
越えようとしていた
己が峠を
己が罪、
罪業と云う重石を
自ら背負い
自らが
責任を果たして
超えたなら
超えれた者は
誰もが気付く。
誰が自分に同情し、
立ち止まり
自身が追い付くのを
待ってくれようと
嘗てのように
気兼ねなく
肩を並べることなど
もう叶いはしないことに。
それでも、
そんな苦しさを
己の罪業として抱え
己が想いを堪え
生きることが
出来ていれば
どうにかこうにか
シャボン玉のように
壊れ易い繕いモノを
形だけは壊さずに
生きることは適う。
己が徳を、
自ら、損なう真似を
してしまったモノの観る
この世の景色と
己が徳を、
失うことなく
堪え続けながら
生きることを
積み重ねてきたモノの観る
この世の景色は
肩を並べること
もう適わない。
それでも一人
己が罪業を背負い
今の己の言動に
自己責任をとって
堪え生きることが
出来たなら
今、真横に立ち並びながら
目の前にある物事事象を
透過して
遠い昔に心を馳せて
肩を並べていた頃のような
感慨を共に味わうことは
適うようになる。
自身が、キレた理由を
己自ら、口にして
他者に何かを求めても
欲しいモノは
そうそう貰える訳もなく
自身、救われる訳もない。
狂おしいかろう
辛さを、共に分かち、
堪え背負ってくれている者を
前にしても
共に堪えてくれることなど
求めていない。と
キレ出してしまえば
嘗て、肩を並べることが
出来ていたモノへ
追い付くことも適わない現実を
前にして
ただでさえ
堪えることが
出来なかった自身に
己自ら、追い打ちをかけ、
自らが、一人、
堪え背負わなければ
いけないモノを
増やしてしまう。
キレる前の自身こそ
自身があるべき姿と
己の有り様を正し直し
自己責任をとり
屈することなく
生き続けることを己に科し
今を堪え
生きてゆけたなら
大した事はなく
紆余曲折
道に迷うこともない
どこまでも
たんたんと
己の日課、あたりまえを
怠ることなく
積み重ね続ける日々
平坦な道のりが
続くだけ
この世の何処で
誰かに出会おうとも
何が変わることもなく
ただ、新たな
出会いを歓び
自身だけでは気付けない
自身との違い
変わる季節の違いを
肌で感じて生きてゆく。
自身とは違うことに
傷ついて
己が孤独感に切迫されて
自己を主張し
手前勝手に
堪えることを止め
自ら、何かを求めて
キレるような真似をして
そのような自身が
キレてしまった理由なんて
堪え踏み留まれずに
口にすれば
あっと云う間に
己自身が
そのような有り様の
己自身を肯定しながら
そんな己に呑まれ
溺れていってしまう。
君だって、
自らの目の前で
溺れ流されてゆく者が
いたならば
どれほど、
重責を背負い
堪えなければいけないか
理解できるだろうに
何を己に科してゆくかは
勝手だ。
自らが、その瞬間まで
どのように生きることを
選んでいたか
己の積んで来た意志を、
覆す真似をして
自身が積んで来たことを
覆すことを己に
赦すようになってしまえば
どこの誰が同情し
立ち止まり
肩を並べてやろうと
待ってくれたとしても
自らが、今まで以上に
踏ん張ること適わずには
己自身を救ってやることすら
適わない。
この世界で
狂おしい業を背負う他者を見て
共に等しい苦痛を
感じながらも
人それぞれが、共に
己に科される重責を
堪え背負い、背負い堪えて、
生きれるように
今を生きれていたならば
今、そのように
この世に、自身が
存在出来ていることが
何よりも
有り難く感じ
其の己の喜びの分まで
己自らに重責を科して
堪えながら
生きている人々の中で
今、堪えることが
出来ないことの辛さ
苦しさ、狂おしさに
己自身に重責を背負わせ
今、迷い、葛藤、苦悩に
もがいて、堪らずに
ついつい、キレてしまっては
己自身に無数の
傷痕を残してしまう。
言わずもがな
堪えきれずに
キレてしまった。
ただそれだけに
留めることが
出来る人も居れば
キレてしまった
理由を自ら反芻し
そのような己の有り様を
肯定し赦してしまう人も居る。
道を誤り
選択を誤れば
心細さに
突き動かされて
今、堪えることも
儘にならぬ程の
不安に押し潰される
苦しさを
自分ばかりが
感じる苦しさで
あるかのように
他所の誰かが
自分の背負い感じる苦しさを
理解出来ない者と
観てしまっては
そりゃ、自らが、
その苦痛を
一人、堪えることなど
悔しくて
キレしまいもするだろう。
自ら、キレる真似をして
その瞬間まで
堪え生きてこれていた
己自身を蔑ろにし
その瞬間まで
堪え生きてこれていた
自身のような有り様の
他者に鞭打つ真似をして
深傷を負うのは
堪え鞭に打たれる
他者ではなく
他者に鞭を撃つ真似をした
己自身が深傷を負って
自ら、堪えることを
増やしてゆく。
ただでさえ
それを背負う前に
キレてしまった者が
新たな重石を背負い
堪え続けることは
どれほど
酷なことなのだろうか。
共に其の苦痛を
分かち背負い
堪え生きてくれる存在を
己自ら、
見出だせたとしても
己の甘えが枷となり
堪えきれずに
自ら、たくさんの傷を
負ってゆく者も居る。
自らが、
受け止めきれぬ
痛みを軽んじては
人は簡単にキレてゆく
キレてしまった
理由を自ら口にしては
あっと云う間に
自分自身に呑まれ
溺れゆく様を
この世界に晒してゆく。
泣きながら憤っても
誰に、何に、
絡みつくことも適わずに
うらめしい。と
泣きながら憤る
狂おしく泣く声が
この世に響く