他人に
どう思われようが
気にならない人は
たくさん存在している。
人生の何処かで、
人目に晒され
恥辱、屈辱を覚える
自我に気付く中
誰かや何かに
邪魔をされた。と
責任転嫁して、
しようとしていたことを
投げ出さずに
恥を知った
自我を忍んで
誰かや何かのためにと
踏ん張って、
投げ出すことなく
自らが
定めたところまで
責任もって
努めを果たせたら
この世界で
自分のことよりも
大事なモノがあると
定まって
他人が
自分の大事なモノを
揶揄し、からかい
馬鹿にしてこようとも
恥辱、屈辱
覚えた日々は過去のこと
遠く昔に
あったことを偲んでは
今と昔の
自分自身の心持ちが
違うことに
気付かされ
今の自分の有り様が
ただ有り難く
誇らしくさえ
感じることが出来てゆく。
自分よりも
大事なモノを
自らが、この世界に
定めることが未だ
出来ていない者だけが
自分に具わるモノに
自信がなく
自分が他者に
どう思われるかを
気にしてしまう。
自分が他者に
どう思われるかを
気にかけては
恥辱、汚辱、屈辱
覚えて、
今、自分が
有しているモノが
他者の
有しているモノと
違うことが
気にかかってしまう。
マッチ売りの少女のように
売り物のマッチを
ひたすらすって
羨み、怨み、妬み
今、どんなに辛くとも
己が、現実を
自らが、生き抜こうと、
踏ん張ることが適わずに
踏ん張っても
踏ん張っても
辛い日々ばかりように
感じては
再び、マッチ売りの少女のように
自分とは違う
他所の誰かが
目に留まったからと
挫けてしまえば
自業自得
因果応報
自分とは違う
他者のことを
自分が、どう思って
立ち止まり
眺めているか知らないが
自分のことを
他者が、どう思って
今、見ているかが
気にかかってしまう。
そんな自分の事よりも
大事な誰かや何かを
有していることを
自覚している者は皆
誰がどのように
思おうとも
気にかからなくなってゆく
道の途中では
自分のことばかりが
自分の大事にしているモノを
ナメて馬鹿にし
軽んじる者も現れる。
最初のウチは
そんなことで
カッとして
道から逸れては
初めから
やり直し
積み直すことに
成りながら
道理、仕組み
パターンを
解析しながら
自ら責任を果たし
試練を越えて
自分より
大事なモノを
この世界に見出し
定めることが
適った多くの人は
誰が何が
自分のことを
知ろうともせず
ナメてかかり
馬鹿にしてこようとも
自分が
大事にしているモノを
誰が、馬鹿にし
貶め、嗤おうとも
嗤う誰かや、
嗤われた、
自分が
大事にしていたモノのせいに
してしまわずに
忍び果たすことで
自分よりも
大事なモノを
自らが、この世界に
定め置くことが適い。
この世界で
自分が、それを
有せていることをもって
誰に、何に
何をどう思われようが
一切、気にかからなくなる。
自分が
大事にしようとしていた
モノのせいにせずに
自分が
大事にしようとしてたモノを
自らが有する至宝に変えて
己の内に具えれた人は皆
誰が、何を
どう思おうが
自分とは別のこととして
捉えてゆき
今、何を
どう思う誰かや何かを
遠くに見ている。
自分よりも
大切なモノを
人は、それぞれが、作り出す。
果たせたならば
柵から解放されて
先人の見ていた世界を
自らも知ることが適ってゆく。
多くの先人の
見ていた世界を
知ってゆくウチに、又
独りではないことを
当たり前に
知ることが出来るから
ますます
誰に、どう思われようとも
自分が大事と思うモノを
大事しながら
進むことが出来る。
自身が
大事にしているモノが
他の誰かには
つまらぬモノであるのも
当たり前。
人、それぞれが
それぞれに
自分よりも大事なモノを
この世界に見出し
定めて、生きているのだから。
自分のことよりも
大事なモノを
定めることが出来たなら
誰が、ソレを
嗤おうとも
自分にとっては
ソレが自分のことよりも
大事なのだ。と
快い涼しい風に
吹かれながら
笑顔で、
聞き流すことが適うだろう。
誰もが
それぞれに
同じように
この世界に存在している。