貴方が、
誰かや何かのことを
どのように
思っていようとも、
どのように
捉えていようとも、
人として、
生きようするならば
努めることは
決まっている。
貴方が
誰かや何かのことを
どのように
思っていようとも
どのように
捉えていようとも
傲ることなく
己の我、エゴ
我儘な欲求を
自ら鎮め
誰かや何かが
どのようなモノで
あったとしても
どのような在り方を
していたとしても
ソコで貴方は、一人
目を伏せるような眼差しで
口を閉ざして
別の誰かや何かと
変わらぬように
相対することだろう。
そうした、
人として今を生きる
務めを怠る者は叫ぶ。
自分は誰かや
何かのことを
こう思っていたんだ。
ああ思っていたんだ。
だから、自分は、
だから、どうの…と
誰もが歩む人の道の道中で
独り、心細さを
抱えたまま立ち止まる。
わざわざ、
手前の事情、都合
想い、気持ちを口にして、
格好、体裁を
取り繕おうとする程に
口にするだけ
お粗末な
己の姿を晒してしまう。
言わずもがなの
言わなくてよい
口にしない方が善い、
己の想い気持ちや
好き嫌い。
立場、事情、都合に
主義主張を
語れる場では
誰もが気を緩め
憩い、遊興
束の間の休息、救い
癒しを覚える。
初見だろうと
誘われて
ポツリ、ポツリと
溢しては、
吐き出すことで
今の自分の状態を
鑑みて気付けることも
とてもたくさんあるだろう。
だけれども
気心知れた者同士の集いや
緩み過ぎている場では
なんのこっちゃか、
誘い水を向けて
誘い出し
自分とは違う相手が
溢す、想い、気持ちや
好き嫌い、考え方や
捉え方を
相手から、引き出すだけ
引き出して
寄り添い、聞いた
フリをしながら
自分とは違う者の
抱く、想い、気持ち
好き嫌い、考え方や
捉え方に
疑問、疑念を提示して
何の話も
聞かなかったことにして
自分だったら…と
唱え出し
聞いていた筈の
相手の話に
添おうともせずに
自分だったら
こう思う。
自分だったら
こう考える。
自分だったら
こう捉え、
自分だったら
こうする。と
なんのこっちゃか、
自分を誇示して
なあんだ、誰かに、
構って貰いたかったんだなぁ。と
感じさせる者が
現れる時が在る。
他者に寄り添うフリをして
癒しに、救いを
求めている者が現れる。
大抵、この世は
優しく、上手く出来ていて
基本、誰もが
自分が、誰かや
何かのことを
どのように思おうと
どのように捉えようとも
努めることは決まっていて
努めさせて貰うことで
精進させて貰い
独りでは気付けぬことに
気付かされ
己の足元を正してゆける。
有り難いモノを
見失わずに
自分が何をすべきか
迷うこともなく
誰かや何かのことを
どのように思い
どのように
捉えていようとも
喧騒に呑まれることなく
他者と競い争い競り合い
張り合うこともなく
他者の抱えている、
想い気持ち
叫び訴える、好き嫌い
立場、都合、事情
主張する、考え方や捉え方に
耳を澄まして
感じ、響いてくる痛みから
抱く想い気持ちに
心を委ねて
他者の想いに寄り添っては
ソコに至るまでに
自らが出会って来た
誰かや何かを思い出し
自らが思い出す誰かや何かに
支えられる自分に
気付くことで励まされ
今、相対する
誰かや何かに
引き摺られることなく
ソコを一人、
踏ん張り生き抜き、
一人一人の
今の在り方、有り様の違い
今、努めることの違う者
歩む道の違う者
何に成りたいかさえ違う者
多くの違いを知る。
寄り添える者が増えては
迷い葛藤苦悩しながらも
この世に同時に在ることの
尊さ、有難みを知ってゆく。
知ってゆける者、
気付ける者、
気づかぬ者、
信じることも適わぬ者
信じようとも思わぬ者も
今、この世に同時に
存在している。
あらゆる有り様の者が居て、
今、ソコ在る貴方が
誰かや何かを
どのように想い
どのように捉えて
どのような選択を
貴方自身に科すのだろうか
貴方が自らのエゴや
我、欲に呑まれて
多くを貪れば、
誰もが、一人で、
努めれていることを
一人、努めることにさえ
不安、焦燥、羞恥を覚え
貴方のエゴ、
想い、気持ち、渇望
考え方、捉え方を
鎮め制することが
貴方にとって
辛く、苦しく
恥ずかしいことに
成ってしまうのだろう。