王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


未だ、学生時分だった頃、
何かの本に、

 トラウマは、当人が
 其れを トラウマと、
 自覚した時に、治る。

と、書いてあったのを見て、

わたしは、其の当時、
わたしが、トラウマと
感じている想い出を
思い返して、

思い返し、
向き合えることで、

心に蓋をせず
治すことが出来るのかな?と

わたしは、わたしの
トラウマを
克服したつもりでいた。

苦手な相手や
苦手なことから
目を反らすことなく
向き合えることで
気付けたことがある。

苦手な相手から
目を反らすことないように 
努力していると

相手が、焦れるように
何を見ているのか?と
問うてくる。

そうした相手の態度から

なぁんだ、相手も
こちらに臆している。と

気付くことが適って
苦手な相手が
前ほど、苦手ではなくなり

主観的だけれども
わたしの弱さを
相手に重ねて観ることが
適うようになり、

こうしたことも

 トラウマは
 トラウマと当人が
 自覚したら治る。と

云うモノに
含まれているように
感じていた。

それから十数年経った時に

 精神病は当人が
 自身が病んでいることに
 気付けなければ
 治療は出来ない。と

何かの本で、読んだ時、
この現実世界に於いて、

 自分はおかしくない!
 正常だ!と

ムキに成った挙げ句に、

 それを云うならば
 誰かの方が、おかしい。と

他者を引き合いに出して
自らばかりが、助かろうと
他者の足を引っ張るような

人とは、到底思えぬ
己が有していた徳ばかりか
仁義礼節をも
瞬く間に、己自らが
欠く真似をして

この現実世界に於いて
形振り構わぬ真似を
自らが、ソコで犯しながら

 自分は、可笑しくない!
 可笑しいのは…と

自己の其の場での
在り方に、自己責任
担うことなく

今、その瞬間、
この世のソコで自らが
徳を損ない
仁義礼節欠いて見せ

己自らを自ら貶めながら

どんな主義主張を
抱えているのか
知らないけれども

手前勝手な
想い気持ち、立場
都合、事情
主義主張を訴えて

どうだ!
事情を知れば
コチラのことを
知ってくれていたなら
コチラが今、
このような振る舞いをするのも
理解出来るだろう?

それを理解してくれる者が
この世界に在る限り

コチラの行いは
おかしくない!
寧ろ、おかしいのは…

今、このように振る舞う
コチラの想い、気持ち
立場、都合事情、
主義主張を知ろうともせず

コチラの今、ココでの
この言動に
理解を示そうともせず
窘め否定するような
真似をする

誰かや何かが
おかしいんだ!と

この現実世界で
侘びしく寂しく
さもしく独り孤独に
敵や仇を見出して

心細さを
誤魔化すように
憤り、

何をソコで堪えているのか
何をソコで我慢しているのか
自らが、解釈に依って
己自身に暗示をかけて

自らが、この現実世界で
堪えるべきこと
保ち続けれる筈の徳を

己が徳以外のモノを
この現実世界で欲しがって

何かを得ては
自らが徳を失い
仁を失い 義を失い
礼に服することに
苦痛を覚えて我慢して

徳ばかりか
仁義礼節、全てを
欠いてしまった己を晒し

人として、ソコで、
堪えるべきこと
耐えるべきこと
担うべきことを

思い出せたならば
そんな過程も、
必要であったと
己が傲慢さに
気付けるだろうけれども

人として、ソコで、己が
堪えるべきこと
耐えるべきこと
担うべきことを

何かをソコで
欲するあまりに
擲っては

己自らが
徳を失う真似をして

仁を掲げて
仁を保てず

義を掲げて、
義をも保てず

礼節をも自ら欠いて

己が想い気持ち
立場、都合事情
主義主張を建前に
己が欲に獅噛みつき

己がこの世のソコで
得することを望んでは
己が徳を地に落とし

何かを得ても
飢えたまま
何故に自分ばかりが
何を得ても
渇き続けてしまうのか

理不尽なことが
この世にあるように
感じる貴方は

どんな気持ち
どんな想い
どんな立場
都合事情、主義主張を
ソコで抱えて

ソコに居る
貴方に何を科すのだろうか。

この世で貴方が
出会い失う存在を

今の貴方にとって
貴方の、何と思うのか

この現実世界で

貴方を苦しめるのも
貴方を救うのも
今の貴方を治せるのも

この現実
この一生を
どのようなモノとして
生きてゆこうとするのかも

当人が、自分と云う存在に
気付けぬままでは

安寧に生きることなど難しく
右往左往
迷い、悩み、葛藤、柵が
貴方自身に絡みつき

貴方の足を引っ張り
後ろ髪を引き
妨げてくるように
感じてしまうのだろう。

それこそ
八方美人な貴方が欲のために

貴方がソコに在る他者に
善く思わようとしては

他者を貶める真似をして
そうした仁義礼節を欠いている
貴方が姿を、この世に晒し 
今の貴方を、貴方自ら貶めては

ソコに在る他者が
貴方とは違う存在を
貴方よりも善いように
扱うのが何故かに気付かずに

汚れた貴方が
ソコに在る他者を
嘗め馬鹿にし愚弄して

貴方とは違う
貴方より劣る筈の存在に
騙され誑かされるような奴に
貶めては

貴方が、貴方のことを
己自ら貶める。

貴方とは違う存在に
簡単に誑かされ騙される
存在に

貴方のことを
知って貰おうと
努力していることが
悔しく情けなく
虚しくなって
貴方の心に火を点ける

焦れる心に嫉妬の焔
慰め惨めな想いを堪え

何を堪え、何に耐え
何を、貴方が貴方に
科してゆくのか

一部始終を
ありとあらゆる存在が
ソっと、心を寄せたり
ハラハラと見守ったり
していることに
貴方がソコで気付けても

あと一歩、

この現実世界を
生きる貴方を
貴方が調合したモノにより
治して生きれるかには

あと一歩
何かが、足りない。

志し、使命、
誰かや何かのためにと

この世のソコで、
貴方のエゴや欲、
執着を溶かし
貴方を癒やす
何かが足りない。

貴方とは違う存在を
只、異質に思う貴方は
病んでいるのかも。

そう言われて
ムカッと来たり
体面、体裁
世間体を汚されたように
感じるばかりか

それを堪え
耐えることが
出来るモノでも
危ういのに

咄嗟に、自らが
ムカついたからと
ゲロを他者に浴びせたり

自らに飛んで来た泥を
そのまま他所に
跳ね返したり

自らが傷を痛みを被って
気分を害されたからと
他者を道連れにするように
他者の気分を害したり

それらを、悪いこととも
己が罪とも思わずに

自分だって被害者だ。と
誰かや、何かを
名指ししたり

自分の想い気持ち
立場、都合事情
主義主張を訴えて
こうした真似をするのも
解るだろう?

だから、
この現実世界で
今、このような真似をする、
自分は、何も
おかしくはない!
おかしいのは寧ろ…と

あられもない姿を晒し
仁義礼節を自ら欠いて見せ

誰もが
具えていた筈の
徳を何処で失くしたのか

そのような姿を
この世のソコで
己自らが行っているとは
思っても居らず

それを指摘されても
指摘してくる相手に依って
自らが捉え方を変え

この世のソコに
存在している己を
調合してみせることを
し難いことに思う者は

皆、病んでいるのだろう。
治せるのは
自分しかいないこと。

誰かが助けてくれるのではなく

自らが誰かに対して
誓願を立てて
自らが何かを担うことにより

どうにか、こうにか
少しずつ、少しずつ
この世のソコに存在している
己を己が癒やしては

やがて、完治した頃に
自らが、誓願を立てた相手に
救われたように感じてゆく。

誰かに助けを求める間は
誰かに助けられることも
救われることもなく
飢え渇きムカつき治まることを
知れぬまま

自らが病んでいるとも
気付けずに

他者が救けてくれたなら
自分も他所の誰かのように
治すことが出来る。と

エゴ、我、業が
突っ張り、つっかえ
喉元に何をも通せず
独り苦しんでしまうのだろう。

そんなに苦しみながらも
自らが病んでいるとも
気付けずに

自分はおかしくなんかない!と
突っ撥ねては
誰かや何かが
こうしてくれたならば…と

この現実世界で
思ってしまう者ほど
病んでいるように
映ることに

自らが、気付けても
あと一歩

自らが、気付けたことを
調合し、
自ら、調合したモノにより

この現実世界の今ソコに
存在している己を己が
治してゆくことが
出来るように成るには

あと一歩
気付きが、
或る解釈が

この現実世界の
今、ソコで、
人として
今を生きるためには
必要なのだろう。

調合を誤れば
治せずに
苦しみは長引く

自分に囚われ
欲に獅噛みついていては
治せない。

いつでも
人が己を癒やす時
ソコに要らないモノは我

いい塩梅に溶かせた時に
人は己を癒やせるのだろう。

そうして現実世界の
今、ソコを生きる
己自身を調え治して
後の生涯を
静かに送ることが
適うのだろう。