王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


体裁、体面、世間体を
気にしてしまう
雛が居る。

親鳥に
助けられながら
殻からやっと
抜け出して

兄弟姉妹に
囲まれて

兄弟姉妹で
競争し
親の後をついてゆく

広い池では
他所の雛も
キョロキョロと
目新しいモノ楽しんで
兄弟姉妹と戯れる。

小さな小さな
コミュニティの中で
戯れ遊び競争し
序列をつけるような
真似をして

クラス替えのように
新たな世界に
飛び込んで
序列をつけるような
真似を繰り返せば

体裁、体面、世間体
自分よりも弱い者に
助けられ取り繕って

体裁、体面、世間体とは
仲間内に、どのように
思われるかではないことに
気づくことも適わない者に
なってしまうかも
知れないね。

自分の周囲に在る者に
馬鹿にされるように、
なめられるように
見下されるように
感じてしまうソレは、

自らが、常日頃から
何をしてきたかを
晒してしまう

それこそ、己の
体裁、体面、世間体を
一人で、護ることが適わない
キリギリスだったことが
よく分かる。

キリギリスは
自分に囚われたまま

自分が馬鹿にしている
アリに最初から
助けられ生かされ続ける。

侘びしく
さみしく
孤独で心細く
アリに助けられながら

正気に戻ることもなく
今の自分を惨めに思う。

感謝の気持ち
その心根から
自らが目を開けずに

自分の世界に
囚われて

キリギリスだけは

自分がアリのことを
その時々に
どう思うのかを

気儘に、自分の気分で
コロコロと捉え方を
変えてみせては

等のアリ本人に
自分はアリのことを
どのように思うかを
告げてみせる。

アリに
今の自分のことを
どのように思うかを
告げて貰い
また救われたいように

また、懸命に
ソコに、そのような
自分が在ることを
知って貰おうとするように

諸行無常
生老病死に抗って

小さな子供が
親しくなった
他所の子が
遠くに行くのに
泣くように

親戚同士
また会えると
言われても

雛は、ソコで
今の自分が
君をどのように
感じているか
君をどのように
思っているかを
離れゆくモノに告げては

懸命に、
今の自分の在り方を
この世のソコに
刻んでゆく。

親しき仲にも
礼儀あり

この世の
ソコ何処で、
過って、自らが
業を生成し
刻んでしまった自分の
ソコでの在り方が

後の己の
体裁、体面、世間体を
脅かしてしまう。

その時の
自分を知ってくれている
誰かや何かに

後の己が
体裁、体面、世間体を
取り繕い、助けて
貰うこと等は
哀しく悲痛、儚く

自分のことを
知っている者に助けられ
今の己の
体裁、体面、世間体が
取り繕えたように
この世のソコで誇示しては

自らが、その過去の業
自らが、ソコで、
刻んでしまった
己の業に、ありように
己自ら、縛られる。

過去に刻んだ
己のあり方が

今、そこに至るまで
どのように
生きてきたとしても

過去の至らぬ己が
この世に刻み生成した
己の業により

今の己の
体裁、体面、世間体が
気にかかり

仲間内に助けて貰い
取り繕って貰えた
その姿を今、
己自ら、この世のソコに
自ら刻み、

過去の至らぬ自分に
取り憑かれて
今を生きれず
過去に引きずり戻されて

体裁、体面、世間体は
自分の周囲の者が
自分のことを
どう思うかということに
自ら、すげ替えて

広い世界に漕ぎ出した筈の
小さな小さな雛は
いつの間にか古巣に帰り

嘗て集った
兄弟姉妹が
もう居なくなった
ありのままを見て

ゆっくり
ゆっくり目を覚まし
使命感に
責任感を思い出し
供養を捧げるように
古巣を後に
出来る者居れば

古巣に勢い
帰っては
そのまま自分の殻に
閉じ籠もり
現実逃避してしまえば

親鳥も兄弟姉妹も
居なくなった古巣の
己の殻の中から
外が怖くて
一人で外に出れなくなって

先に居なくなった
親鳥や兄弟姉妹に
文句や恨み言を
この世のソコで
吐き続ける者も居る。

どのような姿の者も
今、この瞬間
この世界に在るんだよ。

今の自分に溺れず
しがみつくよりも
自分とは違う様々な
状態の人が、

今、この世界に
存在している
その事実を忘れずに
知って気付いて起きたいね。

そうした様々な
あり方をしている存在が
今、この世に在ることを
知って気づいて
他者を肯定し

今、この世を
生きれることで

自ずと調うモノがある。
供養の想いを捧げられずに
己の想いにしがみつき
今の己の体裁、体面
世間体を気にかけて

自らを惨めにしたり
憐れむような真似をすれば

人は自分とは違う存在が
当たり前に
この世のソコに在ることを
認められなくなってゆく。

だって自分は今
こんな風に思っているのに
こんな風に感じたままでいるのに
どうして自分とは違う誰かは…と

この世のソコで
自らが、安易、安直
不用意に、独り舞台を演じ
シェイクスピアの悲劇を
人前で晒しては

それを観ていた者に
今の自分の姿を刻み

どのように想うかを
求めるような真似をしては
藁を掴むように
そんな意見の中から

独り舞台を演じていた
己の体裁、体面、世間体が
取り繕えるように感じたモノを
藁をも掴む勢いで掴んでは

この世での
己の姿、姿勢も
他人任せの運任せ。

同じ世界に在りながら
こうも簡単に
この世での己が今の
在り方を人は
変えてゆけるんだよ。

今、ソコでの
自分自身の在り方で

結局、どのような
在り方をしている人
だろうとも

この世の今、
この世界に共に
存在していることを
知って、気づいて
認め生きている者は

今の自分が
どのような在り方で
この世のソコに
居ようとも
誰に何に脅かされず

自分とは違う在り方を
している誰かや何かが
この世に在ることを
認めれず我儘に

自分はそうした
自分とは違う存在のことを
このように思う。
あのように感じる。と
 
この世のソコで
自己主張をする
今の己の体裁、体面
世間体を周囲に在る者に
取り繕われ
生かされている者は

漠然とし過ぎる何かに
脅かされ続けてしまう。

誰も助けることは
出来ない。

そんな想いを抱くことも
烏滸がましい恥
我欲でしかない。

これがこうでは
なければ…と

思った通りの世界に
囚われる者は

地に足つかずに
足元が次第に
透けてゆくのだろう