王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


「偉そうなことを云う」
「生意気な口をきく」
「減らず口を聞かされた」

周囲の人に
そんな言葉を聞かせれば

周囲の人は
どのような反応を
するのだろうか

この世界は優しくて
そんな言葉を吐く人を
誰もが優しく
包み込むように慰めて

周囲の人が、
「貴方は偉い」
「貴方は幸せ」
「貴方は善い」と
今の貴方を認める言葉を
貴方に贈ってくれるだろう。

シャイで照れ屋で
不器用で
一人が寂しく侘しくて
嬉しいことがあった時も
哀しいことがあった時も
心細くてたまらぬ時も

周囲に在る存在に
甘え支え助けられ

誰かや、何かを
「贄」にして
今の自分を救う
不器用な者が居る。

そんな言葉を
吐くことを
子供達に諌めても

子供は大人の真似をして
大人に成ったように
振る舞ってゆく。

自らのエゴ、我
欲が、業が深く

自分の想い、気持ち
立場、都合、事情
主義主張にしがみつき

自分本位、自己中心的
自意識過剰、自己主体に
自分に囚われている者は

自分が今
現実世界で
何をしているか
気付くことが出来ない。

誰かを憐れに想うことは
恥ずかしいことに
誰かを憐れに想うことで

誰かと自分に線を引き
今の自分は、
その誰かよりマシだ。とか
幸せだ。とか
優れている。と思い込み

今の自分を
己自らが慰める行為

その時に、自分が
誰かのことを憐れに
想ってやったのではない。

今、ソコに
そのようにある
自分の境遇

それに再び
向き合う力を
自らが得ただけで

その境遇にこそ
力を注げたら良いけれど

自分に囚われている者は
誰か、自分の周囲の人に
甘え支え助けられ
寄り添われ背中を押され
手を引かれ

それでも自分の境遇に
向き合うことを疎かに

自分の足下
踏み固めることもなく
遠く遠くに流されて

迷い苦悩葛藤
自分自身を苦しめる

この世は優しい世界だ。と

自分の慰みな想い
境遇に囚われて

何が世界だ!
甘えるな!と

甘やかして貰えている
今の自分に気付かずに

自分は独り苦労を背負い
歯を食い縛り
独りで生きているんだぞ。と

誰かや何かを見下して
他所で誰かや何かへの
不平、不満、不服、愚痴
己が弱音、弱気、
泣き言を溢す。

吐き捨てくさし
嗤い飛ばし溢したり

一点をみつめ
自分の世界に引き籠もり
怨み憤りを膨らませつつ
憎しみ滾らせながら溢したり

涙ながらに
慟哭溢れ流されて
しまうかのように溢したり

その後は皆
ソコに在る、周囲の者に
宥め、すかされ、慰められ

甘えさせて貰い
支えて貰い
何とか少し助けられ

楽になってゆく様に

喜怒哀楽 百面相
ちょっとした
芝居の舞台が開かれる

お決まりの台詞が
飛び交う
小舞台

そのような、舞台に
どのような役回りで
出演するのか

一番目立つ主人公よりも
端役を務めさせて
貰いたいね。

端役にも色々と
違う役回りがあるけれど

先達の名優に
人其々、憧れて
そのような役者に成ろうと

今を生きているようにさえ
映ってしまう。

そんな日常の何処かで起こる
出来事を切り取って
ドラマや映画や舞台が
よりドラマチックに
脚色されて作られる

そんなドラマや
映画や舞台を見ては
共感、同情、感情移入し
喜怒哀楽を楽しんで

自分の境遇に
向き合っていく。

そんな様を見ていると
舞台に上がることよりも
観客であり続けたい。と
思えてくる。

人生は舞台。

その通りだね。
シェイクスピアも
森繁久彌さんも

同じことを言っていた。
わたしも
同じようなことを思う。