王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


泣き暮れている人を観て
猛り憤る人を観て

貴方は、
どのような想いをもって

この世のソコで
出会ったモノに
今、触れるのだろうか?

泣き暮れている人を観て
猛り憤る人を観て

泣き止むように
憤り鎮まるようにと
貴方が、真心をもって
心を砕き心を割いて

偲び寄り添い
接することが出来たなら

泣き止むことなく
泣き暮れる人を観て

憤り鎮まることなく
猛り憤る人を観て

貴方は貴方らしさを
失うことなく
人として

この世に在ることが
敵っただろう

どんな想いで、
ソコ、何処で、
貴方自身が

安易安直不用意に
犯してしまうことが
なかったならば

貴方は何に
囚われることもなく

人として、
貴方と違う道をゆく者の背を
儚く尊い者を見送るように

供養に務めさせて
貰えることが敵っただろう。

どのような
貴方がソコに居て
どのような貴方が

泣き暮れる人を観て
猛り憤る人を観て
貴方とは違う人をソコに観て

何をどのように捉え
貴方をどのように運ぼうとも

そんな貴方の
この世でのありようを観て
泣き暮れる人を観て
猛り憤る人を観て

貴方とは違う在り方で
貴方とは違う捉え方をする者は、

そんな貴方が
そのようなありようで
この世に在ることを許している。

泣き暮れる人を見るように
猛り憤る人を見るように
今、何かをそのように捉え
そのように振る舞う貴方を観て

誰を前にする時と
変わらぬように
寄り添い心を砕き
観ている者が在ることを

自分とは違う
在り方をしている者が
今、ソコに在ることが
許せない者は気付けずに

安易安直不用意に
自らが煩わしそうに
ぞんざいな態度で
振る舞ってしまっては

自業自得
因果応報
鏡を祀る心を失くす。

鏡を祀る心を失くせば
鏡を前にし
静まること敵わずに
動を選んでしまうのだろう。

人は鏡。
何時いかなる時も
他者は今の自分を映す鏡。

自分とは違う他者を観て
今、どのように捉える自分が
ソコに居るのかに
気付かされるモノ。

自分の周囲に在る者が
狡く汚らしく捉えてしまう者は、
今、そのように醜く
醜悪な自分のありようを
この世に晒してしまっている。

残念なことに
もったいないことに

誰かを貶す者を観て
猛り憤る者を観て
泣き暮れる者を観て

今の貴方が
貴方とは違う人を
ソコに観て

どのように捉えて
どのように想い
どのような道へと
自ら、進んでゆくのか

映し鏡が連なるように
必ず誰かが観ている。

泣き暮れる者を観て
猛り憤る者を観て

今、ソコに在る貴方は
貴方とは違う人を
ソコに観て

いったいどのように
ソコに在る者なのか

貴方自身が自ら選び
その姿を
誰かにまた観せてゆく。

ソコで
そのように振る舞うことを
選んだ貴方が

そのように
この世に在ることを
選んだ貴方のことを

貴方とは違う人が
どのように観て
どのように捉え
どのように想い
どのように動くのか

貴方とは違う人を前にして、
貴方はソコに何を観て
どのように今
捉えてしまう者なのか
今の貴方をさらけ出す。

今、ソコに居る貴方が
貴方と、同じ選択を
選ぶ者を求め欲し見出しながら

何故だか、今の貴方が
そのように観て
そのように捉えることにした
今の貴方のようなあり方を
選ぶだろう者と対峙して
自分とは違うことに憤り、

今、ソコでそのように
振る舞う貴方の姿を
どのように観て
どのように捉え
どのように想うだろう
貴方とは違う存在を前に

貴方は何を想うのか

そんな貴方も 
高齢者をカモにする
犯罪者を観ては

そうした者達は
いつか自分が年を取れば
自業自得、因果応報
人を信じることが出来ずに
猜疑心に囚われ
見えない何かに追われ
自らが安寧を欠くのだろうに…と

想える者であるだろうに

そうした情けを
有している者だろうに

誰か謗る者を観て
誰かを貶す者を観て
誰かを欺く者を観て
猛り憤る者を観て
泣き暮れている者を観て

貴方とは違う人を観て
貴方が貴方を忍べずに
貴方がエゴを膨らませ

何故だか
貴方とは違う
そのような人に

今の貴方の想い気持ち
立場、都合事情
主義主張を誇示するように
振る舞ってしまうのか。

貴方が、この世での
貴方自身の振る舞い
その言動を
どのような想いで
振る舞ったモノかを
貴方自身が選び
この世のソコに据えてゆく

ソコに居る貴方が
何をどのように観て
どのように捉え
どのように想い
今、ソコにそのように在るのか
貴方自身が選んでゆく。

憤り猛る者を観て
泣き暮れている者を観て

貴方とは違う存在を前にする

貴方よりも幼く無知で
苦労も知らぬような者が
今、貴方の目の前で
濁流に揉まれ流されゆくように観て
捉えてしまったならば

どのように動いてしまうのか

自分とは違うモノを観て
ソコに何を映し観て
どのように捉える者なのか

今の貴方の言動を観て、
貴方とは違う人を観て
泣き暮れている人を観て
猛り憤る人を観て
只、戸惑っている人を観て

今の貴方が
どのように捉え
どのように想う人なのか
今の貴方が
今ソコに、そのように
浮かんでいる。

そんな貴方の姿を観て
貴方とは違う人を観て
泣き暮れている人を観て
猛り憤る人を観て
只、戸惑う人を観て

貴方とは違うように
捉えては
静まり生きれる者も居る。

貴方が何に
執着しているかのように観て
捉える者も居るだろう。

そのように観る者は
自分とは違う存在を前に
自分を誇示し
自分とは違う存在が
この世に在ることを許さすに
動に動いてゆくのかな。

今、ソコに
そのように在るモノも
人として生まれたモノだから
各々が、六道を巡り
いつしか同じところに辿り着く

一つ一つの気付きを経て
いつかは
どのような人を観ても
静まりゆくことが
出来るように成るのだろう

たくさん傷つく人を観て
自らの無力を知って
己という人の恥
エゴという自らを阻むモノを知り
欲という自らを遮るモノを知り

動に動くモノを観て
誰かを貶すモノを観て
猛り憤るモノを観て
泣き暮れるモノを観て

どのようなモノに
この世の何処かで
出会っても

己という恥知る者は
自分とは違う存在が
今ソコに在ることを赦し
静に準じてゆくのだろう

長い長い葬列に加わるように
己というエゴを欲を
手放して

数多の機微に触れながら
数多の機微に触れては、
今、この世のソコで
自分が、どのようなモノとして
存在しているのかに
気付かされながら

何かに触れては
響くように揺れる
自らのその心の揺らぎが
この世に在る
何かに共鳴し
今、ソコで、鳴り響き
ソコでしか聴けない音を
奏でるてゆく

人が、この世で
ウッカリ固執して
貪るように拘り
執着するモノは、

生きる本質からすれば
灰汁のようなモノであり
上澄みであり
水に浮かべた絵の具のように
色んな色を見せてゆく

悪態つく者を観て
猛り憤る者を観て
泣き暮れている者を観て
今、ソコに在る貴方は
それに触れ

それを何と捉えて
どのように観て
どのように想う者として
今、ソコに在る者なのか。

ソコに
そのように在れる貴方に
貴方が、足りれた
その時には

貴方は、貴方とは
違う存在が
この世のソコに在ることで
貴方にどのような想いが
去来しようとも

静観出来る者として
貴方とは違う存在が
この世のソコに在ることを
心を砕き赦せる者に成るのだろう。

欲する者は気付けない。
動に動けば気付かない。
自分とは違う存在が
この世に在ることも

自分とは同じ存在が
この世のソコに在ることも
認めれぬ自分が在ることに

迷い、葛藤、苦悩を抱え
地団駄踏んでる姿を
自分が晒していることに

自らが、そんな真似をして
自分のような
悪鬼、邪鬼、餓鬼を
その世界に見出して

そうした者が
この世のソコに在ることを
赦せぬ自分が歩む道は
修羅の道

道鏡を前に
ソコに何を映すのか

阿字観を知れず

この世のソコで
貴方はいったい
何を観て
何をどう捉えて
どう想い

今、そのように
この世のソコに
存在せしめているのか

其処何処で、
誰や何を前にしても
自在に、今
貴方が、在りたい
貴方の在り方で
この世のソコに居られることは

とても苦しく
悔しく情けなく
不甲斐ない想いを苦しみを
貴方に味合わせてしまうのだろう。

軽んじることなど
誰にも出来はしない
そのまま死んでしまっても
おかしくはない程の
迷い苦しみ葛藤飢え渇き

誰もが、その苦を知っている

その苦を知っている貴方が、
今、ソコで
どのような者に触れ出会い
今、ソコで、今の貴方の
在り方を自ら選び示していく。

今、ソコに在る
貴方のありようを
示してゆく。

連なる映し鏡の中で
揺れる影

それを今の貴方は
どのように観て
どのように捉え
何を想って、どのように
この世のソコに在る
貴方自身を動かしてゆくのか

貴方がソコに
そのように在る
貴方をこの世に示してゆく

その姿を必ず誰かが観て
また捉え、想って
今、ソコを一人生きてゆく