王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


他者を常日頃から
敬っている人は
迷わないことがある。

他者を甞め馬鹿にし
軽んじてしまった者は、
人を呪わば穴二つ

因果応報 自業自得は
後から自分に
返ってくるものではなく
その瞬間から
自らの妄念の世界に
誘って

ありのままの
とても端的な現実が
罪を犯した者だけが

何故だか
気付けず
理解出来なくなってゆく。

兄貴、あいつは
兄貴のことを
甞めてるんだ
馬鹿にしてるんだ。と

この世で口にした者は
あまりにも酷い
報いの世界に生きている。

だってあいつが
こうしてたから
だから自分は
そう思ったんだ。と

自分が何をしたのかさえ
自分で気付くことが
敵わない。

何故なら自分が
自分を偽って
気付ける筈の現実の
そう振る舞ってしまった
自分のあり様から
目を反らし

八方美人に振る舞って
自分が何をしたか
反省することもない。

いくら指摘されても
身構えるばかり

足をひっぱり
蹴落され泥を浴びせられ
辛酸なめては
責任転嫁

この世のソコで
自分が何をしているか
自分だけが自分を偽り

只、ずっと、ソコで独り
自分のことを
あいつよりも必要と
よく見て貰いたいだけの
寂しい人が、そこに居る。

そんなありようの存在に
心を傷めることが出来
思いやることが出来る者は

ソコにいる
兄貴の観る目のなさに
義憤さえも覚えるだろう。

だけれども
あいつ兄貴のことを
甞めてますぜ
馬鹿にしてますぜ。と
言われた当人の兄貴が

他者にそのように自分が
思われることが本当に
自分が他者に
嘗められ馬鹿にされるような
行いを、していることを
自覚していながら

自らを欺き責任転嫁して
行い続けていたならば

兄貴は自分さえも救えずに
もちろん、ソコで
切と訴えている者の
気持ちも汲むこともなく

その瞬間に自らが
選んだ選択
その瞬間から

ありのままが
見えなくなり
自ら独り叫び出す。

自分はあいつに
嘗められ
馬鹿にされる者である。

自分はあいつに
軽んじられて

自分はあいつに
貶められ
下げられる。と

独り、この世のソコで
叫び出し

常識のある存在が皆
放って置けばいい
貴方が構う必要はない。

自らを敬い寄り添う者の声を
聴くこと敵わず情けなく
己が妄念に囚われ

中には呆れたことに
俺は男だ。
女に嘗められてたまるか!と

この現実世界で叫んでは
うっかり、他者を道連れに
人を馬鹿にし嘗める愚行に
囚えてしまう者もあり

そんな者に限っては
女に嘗められて、たまるか!と
自ら、大声で叫びながら

何故だか、男同士で
競わずに
女と競い争い競り合い
張り合う者もある。

その異質さに
気付ける者は
最低限にも
男の人を敬って

そんな真似を男がすれば
自ら面子を汚すような者と
当たり前にしっている。

男の面子、体面、世間体を
突っ張り生きている者が

自分の面子、体面、体裁
世間体が、他者により
貶められ汚された。と

叫んでいれば

貴方様ったらば
おかしな
ご冗談を
その一言で
正気に返って片付くものを

情けない
己の弱さに荷担して
この世のソコに在る者の
ありのままの声を聴けぬ者は

自らの欲にエゴに我に
囚われて
独り侘しく寂しい殻の中

明るい光を拝みたい
自分を殻から
出してくれる
うずめを待つ。

うずめに幾ら出会おうと
群れの中で孤独になり
自分ばかりが…と思っては

自分の欲に囚われて
本末転倒な真似を
自らが自らにさせながら

己が己の墓穴を
掘ってしまうことさえも
自ら制すること敵わずに

己を御すことも
敵わない者だけが
何故だか、他者を御すことに
現をぬかしている

ありのままの現実を
己が心に焼き留めること
敵わずに

己ばかりが救われようと
実相から目を反らしながら

自分はああ見られたい
こう見られたい
あれが、それが
自分にも欲しいんだ!

それを求めることの
何が悪いというのか?と

人を呪わば穴二つ
端的な筈の道を
己が欲に我、エゴに依り

自らが解けず
超えれぬ壁を
この世に自ら作り出し

カンダタのように

人と、云う字は
支え合っているんだ
支え合うのが普通だろう?と

他者が優しさから
放った言葉を
汲むことも、
信じきることも
配慮することもなく

これが嘘なのか
これを自分に、
授けた者が
自分を騙し
嘘をついていたと
言いたいのか?

お前が悪くないなら
誰が悪いんだ?と
呆けたことを語り出し

懸命に
今、ソコにそのように在る
自分をよく見せようと
もがき、あがき 働いては

自らありのままの
端的な世界から遠ざかり

自らの墓穴を掘ってゆく。

か弱き、君も
優しい人であっただろうに

そのような者が
二人も居れば

何をやっているのだか
誰もが、一人一人
自己の言動に責任を担おうと
向上する者ならば

人の心に触れるなら
人の立場に立つならば
いつも、やるせない程の
人の想い気持ち欲が
心に沁みいって

誰も悪くないことが
只、ソコに自分が在りながら
どんなに無力か想い知る。

人の求める葛藤に
応えれると思うが
おこがましい。と

この世で知れずにあることが
まるで罪であるかのように
人をその者の因果に誘ってゆく

ただ、二人、
己が欲がために
足掻く、狡い者があれば

庇い合う
自分達は悪くはない!と
正気に返ってゆく者が
痛ましさに恥に
顔を歪めるのを見ては

我らは、そんなつもりでは
なかったと
我らは、正しいんだ。

悪いのは誰だ。と
今、ソコに在る
己を懸命に
よく見せようとする

臆病な痛ましさ
人の弱さが伝わってくる。

馬鹿二人は
吠えては叫び訴え
競い争い競り合い
張り合う自分を
止められず

ずっと自ら墓穴を
掘り続け
自らが要らぬ業を
因果を生成し続け

こうではないのか
ならばこうでは?と
己が己を御せれずに

なんでそうなる。と
誰もが奇異に思うことを
本末転倒に
今、ソコに在る己を
ソコに共にある誰に
よく見せようとしては

自ら、馬鹿げたことを言い
それが違うのは何故なのか
誰が、悪いと云うのか?と
自分以外の者の名を出したり、

自分が、誰かや何かを
心配し、こう想うことも
悪いのか?と
馬鹿げたことを問い続ける。

落ちぶれるという行為は
人の情けをもって行った
自己の言動に最期まで
自らが自己責任をとることなく

己の欲に呑まれて
自らの弱さに荷担して
自らが、この世のソコに在る
己自身や己が想った相手を
怨み妬み憎み嫉んでしまう
ことではないだろうか。

迷い人は
この現実世界に存在する
我を失っているように映る。

女に嘗められたと
思った男が
怒り心頭、
復讐してきたら
どうするんだ?

そのような存在も
この世には在ろうけれども

大概の女性が
殿方を…というよりも

男女関係なく

自らが交友を持った人間を
嘗め馬鹿にし 
軽んじたつもりになって

現実、己を慰むような
真似に、及ぶことなきよう
所々に努めた者は、

自らが交友を持った人間が
まさか、そのような人であったとは
思いもしない。

後から知って
驚いて、不憫
憐れに想うことは
あっても

畏れ身構え
自ら保身を図ろうと
足を引っ張り
自らを第三者に
よく見て貰おうと

競い争い競り合い
張り合い
己が墓穴を自ら掘る者は

この世の現実
そんなには居ない。

情けは人のためならず
情けなくなれば
人でなし。

懸命に懸命に
自分の欲にエゴに
しがみつき

手を引いてくれる
うずめを待っても

欲に囚われた者は
うずめにさえ気付けない。

貴方が太陽のように
輝いていたことを
知っている者でさえ

貴方を救うことなど
敵いはしない。

酷なようで
実のところは
酷ではない。

この世を酷な世界に
自ら変えてしまう者は
ただただ不憫で
憐れを誘う。

人が人を憐れと想った気持ちは
直ぐ霞む

持ち続けるには
強い意志がいる。

想い続ける意志がいる。

届かず敵わず伝わらず
報われない想いでも
そのような気持ちを
持ち合わせている
己が報われることを望むより

いつか何処かで
気付いた時に
親より死んだことを
後悔する必要はない。

充分、孝行、
報い尽くしていたと

他者を解放出来る
その情けが
その瞬間から
貴方を救う因果へと
迷いのない
明るく照らされた道へと
貴方を誘う。

とても、観やすく
端的なこの現実を
複雑にする者は
今、その瞬間に
他者に問う。

自分の気持ちは
どうなるのか?と
自分のことばかりを
気にしている
自分の欲に気付けずに

自らを自らの
選んだ因果へ
導いてゆく。

知りたいこと
求めていること
その全て
もう授けられていることに
自ら、気付くこと敵わずに

独りこの世を
侘しく寂しく
孤独な心細さを抱え
恐る恐る
右に左に歩いてゆく。

罪、業深き
ありよう反省出来ずに
救いを求めて
墓穴を掘って

己がありたいありようから
本末転倒な真似をしながら
今を生き

他者に救いを乞うては
己に鞭打つ真似をする。

人は、皆、
一歩、間違えれば
同じなんだよ。

だからこそ
誰を馬鹿にも
嘗めてしまうことも
自分の仇になってゆく。

気付き、痛ましさに
苦しがり
自分が、どうにかしたい。と
欲を持ち

その身を粉にしてでも
悪者になろうと
誰かのためにと
その身を捧げれる者は

犠牲者に成ることはなく
自らが想った相手に
その身を心を
捧げきれずに
己が傷つくのを惜しめば
自己犠牲的に

残念無念
人は自らが生成した
壁や激流を
越えることも敵わない。

よい季節だから
よい天気の日に
一人お墓参りに行き
墓標の中に眠る祖先に
今の自分のありようを
見てもらってくるといい。

眠る個人への
忠義があればある程に
墓前を後にした
今の己が鎮まって

この世界に在る
個人という存在は
とても小さいけれども

この世界に
普遍的に紡がれる
人の想いの大きさは

時代を越えて
山河や大木のように
いつまでも
いつまでも
ソコに在り続けることを知り

焦らずとも
貴方の想いも
永遠に、そうして
必ず、誰かに気付かれる。

この世で
今の自分の想い気持ちを
立場 都合事情
主義主張を知ってくれぬ者に
憤る者は、あまりにも
愚かだ。

そのような者だけが
自分の周囲に存在する
誰かや何かは
観る目がない!と

馬鹿にし
嘗めるようなことをいい
今、ソコにある己を慰みて

自らの逆境の中
自ら、やろうと決めたことを
最後まで、やりきって
一人、コツコツ生き抜いて
他者に認められた
経験がなく
ドロップアウトした者で

そのような者だけが
この世のソコに在る
自分の周囲に在る存在に
礼を払えず貶めては

今、それと共に在る
己自らを慰みて
救いを他所に求めている。

何が、当たり前なのか
その言動
一言が百をも物語り
今の己がどのような者かを
自らこの世に晒すような

墓穴を自ら掘りながら
今の自分を
よく見せようと
足搔いても
自ら足を滑らして

なんで自分ばかりがと
自分が足を滑らしたのは
誰かや何かのせいだ。と
訴えてしまうことが

今、ソコに在る
兄貴を自分が
甞め馬鹿にし軽んじて、
人を観る目もない者へと
己自ら貶めて
己自ら慰みては

兄貴より
自分の目が確かだ。と
よく見せようとしてしまっては

そんな兄貴に
認められても

自分の周囲に在る者よりも
他所の者が有している者を
羨ましく思ってしまう。

誰もが、似たような
過ちを繰り返しているのが
よく観える。

嗤えるようなモノではなく
心に深く刻まれる程の
痛みを伴うモノだろう。

それが未だ
分からずに
強がることに意味はない。