王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


この現実世界の
今、ソコに、
どのような存在として
立っているのか

人は皆、
自身がそれを自ら
定めておけずに
この世に迷う。

現実世界の
今、ソコに、
どのような自分が
顕在しているのか

自らが、
初心忘れることなく

自らが、目標に向かって
堅実に、自らの
この世のソコでの言動に
自己責任を以て
行くことが出来る者は
知ってしまう。

違いに気付いてしまう。

この現実世界の
今、ソコに、
自分が居ながら、

ソコで起きる
物事事象を前に
静観すること敵わぬ者は

己の眼前で起きた
物事事象の
責任の所在が
何処に科されるか
分からずに

今、ソコで
自らが、どのように
在ろうとするか定めれず

身を心を裂く傷み
己が迷い葛藤、
苦悩の連続の世界から

誰かが
助けてくれることを
求め欲してしまっては

今の自分がそのように
この世のソコで
迷い葛藤苦悩して
身を心を傷めるのは

誰の責任なのか?と
この世で問う真似をする。

この現実世界で
今、其の身に起こる全ては
自らが自業自得
因果応報でしかない。

己が苦痛に抗うために
今、そんな想いを、している
自分に対しての責任を

取ってくれる者を
この世で欲する真似した者だけが

責任の所在定めれず
この現実世界で
独り、彷徨い続ける、

そんな己の今の様相
状態を晒しながら

この世のソコに在る
今の自分の言動に
自己責任担いきれずに

誰かや何かに
すがり乞う
そんな姿を晒してしまう。

この世のソコに
自分が居ることを
自らが忘れてしまう。

自分の眼前には
鏡に向き合わずには
自分の姿が映らないから

人は自分が今、
現実世界の今ソコに
そのように在るということを
忘れてしまうのだろう、

自己の言動に
自己責任を以て

自らがこの世のソコで
どのような者として在ることを
自ら定めては

人は誰もが一人で生きてゆく。

どんなに辛く寂しくとも
今、ソコに在る
誰かや何かに気付いては

今、自らが
誰に何に添って
生きるのかを
自らが定め決めてゆく。

それが出来ている者は
責任の所在が
何処にあるのか迷わずに

今、己の眼前で起きている
物事事象の責任の所在を
それを観れる者と分かち
自らが定めた道に立ち 
静かに偲び

今、ソコに在る
自らの言動に
自らが責任を以て生きて居る。

川に溺れる者を
飛び込んで助ける者もいれば

心を裂いて
見守る者もいる。

各々が、この現実世界で
今、ソコに在る
自分の姿、姿勢ありように
自己責任以て
己に足りて生きてゆく。

今、ソコに
そのように在る、
今の自分のありように
自己責任持てない者は

そんな自分で居ることが
悔しく情けなく思う者は
この世のソコで

誰かや何かに
すがり乞うては
泣きながら憤り
真一文字に唇を噛み。
肩を怒らせ
その眼に切と願う想いを乗せて

自らが起こす激流に
流されてゆく
己が姿をこの世で晒す。