のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ -31ページ目

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

ご訪問、ありがとうございます!!夫&嫁で更新♪
ken(夫)は、中国でのビジネスは中国での出産(天津ローカル病院にて出産)・育児話をメインに♪

翌朝お父さんの、顔は変わらず、


お昼過ぎに葬儀屋さんがこられて、お父さんを

お棺にうつし、会館へ運んでいく。


ちょうど今年中国で買ったDVDにあったおくりびとの

世界である。


その繊細で、美しい、儀式的な、神々しい

流れに見とれながら、


みんなでお父さんを囲み、沈黙の中でそれらの

流れるような行いを見ていた。


その後、男手で持ち上げた棺おけがおもかったこと。


お父さんが会館に運ばれて私と、aiaiも一緒に向かった。


お父さんが78年間生きたこの下町。。


会館の前を通り過ぎていく通行人のうちの

何人かが、その時点でお父さんの、訃報を知り

駆けつけてくれた人も何人かいた。。


夜の17時を過ぎた頃から、ぽつぽつと人が集まり

はじめた。


私の実家から、私の両親と弟2人とそして翔世がやってくる。


お父さんがなくなる、前日に、帰国したaiaiと翔世であったが、

aiaiは身重なため、aiai一人でお父さんのお見舞いに

行き、翔世はいけなかった。


翌週に改めて連れて行こうと思っていたのだが

まさかこんな急にとは思っていなかった。


お父さんにとって、初孫の翔世。。


最後に会えなくて残念だった。。

その翔世が、御通夜に向かっている。私も1週間ぶりに会えるのだ。


18時に翔世と私の両親、弟達が到着。


すぐに到着した翔世を抱きかかえ、

お父さんとご対面。


お棺を覗き込みながら、


翔『じいじい、ねんねしてるね~』

私『しょーせー、じいじいはねんねしてるんじゃないの

  死んじゃったの。もう会えないの。空の高い高い

  天国にいっちゃたの。分かる』

私『ぱぱも、ママ、ばあちゃんもみんな泣いてるでしょ。

  わかる。じいじいはしんじゃったの。』


分かった、分かってないか。それでも

翔世にお父さんの死を分かって欲しかった。


翔世にとって初めて参加するお葬式であった。


しっかり生きて、しっかり死んでいったお父さん。


その死を伝えること。


死生観というものを伝えたかった。


死ぬと言うことは、どう生きると言うことと

つながるんだよって。。伝えたかった。


後になって聞いて話だが、

私の父が、翔世にじいじいはねんねしてるんだよ

っていったら、

翔世が、『ちがう。じいじいは死んだんだ』

といっていたそうで、翔世なりに何か感じるものが

あったのだろうと。


私とaiaiと喪主であるお母さんは一番前の列にすわり

翔世は後ろのほうで、私の母親と座っている。


お通夜には、たくさんの人が訪れてくれた。


昨日立ち飲みやで飲んだ、お父さんの仲間達

も皆きてくれた。


御通夜が終わり、座敷にあがって、用意した

お酒やお寿司、おつまみを召し上がってもらうために


できるだけ多くの人に上にあがってもらった。


ここでもいつもの仲間達が遅くまで付き合ってくれた。


たくさんの人たちに囲まれて、父は幸せですと

aiaiが言っていた。


皆が帰り、私と、aiaiとお母さんと親戚の人数名が

会館に泊まった。


お通夜では線香を消してはならない。


線香から上に昇っていく白い線のような煙が

天国につながり、それを頼りに人は

のぼっていくのだとか。。


会館の従業員の人たちも帰り、

後は身内だけとなり、みんな寝る準備をして

お父さんの周りに集まってきた。


夜もふけていく中、みんなでがやがやと

お父さんを囲みながら。。。お父さんとの

最後の夜である。



つづく。。



ランキングクリックをお願いします。

ダウンダウンダウンダウンダウン

ブログランキング































aiaiと、2人で歩いて近所の立ち飲みやに

顔を出すと、いつものメンバー、というか

フルメンバーであった。


実は9月に帰国したときは、私とaiaiのお父さんと

私の父まで参戦しての、語らいであった。


みんな、お父さんがここまで悪いと知ったのは

本当にここ2週間くらいのことで

亡くなる10日前ほどに、再入院しているのだが。


最後まで検査入院だと思っていたお父さんとしては

絶対に退院するつもりだったので、

みんなには、ちょっといってくるとだけ。。。


立ちのみやのカウンターにもたれながら

みんなおのおのに、お父さんのことを

思いしのぶ。


誰かがお父さんとの出会いを振り返り

以前一緒にいった旅行の話で盛り上がる


時々誰が、詰まって涙することもあり。。

私もその場で、お父さんとの思い出など

お話させてもらった。。。


明日が御通夜であるが、その前夜から

みんな、故人をしのび、飲んでいる。。


みんな年齢的にはお父さんと近いので

自分達もいついってもおかしくないと

口々に言っている。。。


夜の9時を過ぎた頃に、一度aiaiを家まで

送って、また、私は、お父さんの枕元に

あったお酒を、

お母さんにもっていきなさいといわれ

もちだし、その立ち飲み屋にもどった。


こうやってお父さんの仲間達と

飲んでいるのが、お父さんの供養になるので

けんさんいってあげてくださいと言われて。。


明日のお通夜はみんなが来てくれる。


友人をメインにしたお葬式にするそうだ。


何人かは、受付などてつだってくれるという。


その夜は、私は少し酔っ払い気味で

aiaiの家に戻り、aiaiと一緒に眠った。


aiaiの大きなおなかをさすりながら。。




ランキングクリックをお願いします。

ダウンダウンダウンダウンダウン

ブログランキング




















お父さんに手を合わせて、その後

居間に戻り、お父さんの最後の様子について

聞いたりしていた。


夕方の7時くらいに、aiaiの携帯にお父さんの

友達から電話があった。


近所のいつもの立ち飲み屋で

お父さんをしのぶ会をしているけど、こないかと。


お父さんが大事にしていた、友達たち。


この立ち飲みやにあつまる、お父さんの

飲み友達とは、私も5年来の付き合いである。


お父さんが上海に私を見定めにやってきたとき


このたち飲み屋の話をしておられ、娘の婿に

なる人を、ここにつれていって、みんなに

お披露目したいと、常々言っておられた。


その飲み友達達とは、長い人で40年来

短くても17年来という、まさにこの下町で

おとうさんと一緒に、飲みながら生きてきた

人たちである。


お父さんがすごく大事にした仲間達である。


ある意味、お父さんの聖域のような場所。

この場所に、常々


娘と、娘婿とその子供つれてくることが

お父さんの夢のひとつでもあったらしく


5年前から、私もaiaiも帰国のたびに足を

はこばさせてもらっているのである。


もちろん翔世も生後5ヶ月から、ココに来て

夜眠くなったら、立ち飲み屋の下駄箱のところに

ふとんをひいて、ねかせてもらっていたくらい。


私が、NYに行く前、帰ってきたとき、結婚届けを

役所に届けたとき、結婚式を終えて、その他

帰国のたびに必ずここにはよせてもらっていた。


お父さんとaiaiと一緒に。。

そんな人情あふれる、大阪の下町の

おっちゃんたちと、いつもお父さんは一緒にいた。


その中の、仲のいい友人からの電話でのお誘いであった。


というか、お誘いではなくて、明日の通夜の打ち合わせ

の連絡であったのだが、


電話を切る最後に、冗談で飲んでるけど来るか?

というその程度であったのだが、


aiaiと、私であの場所で、今日お父さんが亡くなった

この日にお父さんが不在のなか、私達が

あそこにいくことが、お父さんを見送るという

いいことなのではないかと思い、


お母さんも行ってあげてと、言ってくれました。


私も、aiaiもコートを着て、準備をはじめて

お父さんの枕もとのお酒を、手にして

ちょっと、お父さん言ってくるねと言って、


いつもの立ち飲みやにでかけた。


もし、上からお父さんがこの光景をみていたら


おいおい、俺も連れて行けよといっただろう。


aiaiと2人で、手をつながながら、近所の立ち飲みや

へ向かう。


aiaiが生まれ育った、下町の住宅抜けて、

ふとすれ違う自転車にのった、おっちゃんが

お父さんに見えるようで。。


お父さんをしのぶ会に向けて、立ち飲み屋へ


ランキングクリックをお願いします。

ダウンダウンダウンダウンダウン

ブログランキング



大連から飛行時間2時間で関空に到着。北京からだと
3時間だったのが、なぜこんなに近い?と不思議に思って

跡でグーグルマップで見てみると、なるほど大連は半島の
さきっちょで、ちゅうど北京大阪間を線で引くと、3分の1くらい
の線上にある。これは近いなと、思いながら。。

関空に到着し、急いで南海本線に乗り、aiaiの実家に向かう。

aiaiの実家は大阪の住之江区。大阪市の下町です。

ちんちん電車で数駅いけば、通天閣や天王寺動物園のある
大阪のダウンタウンで、aiaiのお父さんは、典型的な浪速の
おっちゃんである。

南海本線の小浜駅をおりて、小浜商店街を通り過ぎて
いつきても、おだやかな、こつこつとした下町の雰囲気が
漂う商店街。

ふっと通り過ぎる自転車に乗ったおっちゃんが、
aiaiのお父さんに見えてしまう。

aiaiがまだ東京に住んでた頃、よく私一人でaiaiの
実家にやってきて、お父さんとよく飲みに行ったものだ。。

駅から歩いて、10分ほどすると、古い家屋で木造の何代に
も渡って住んできた家である。

ブザーを鳴らし、なかからaiaiのお母さんがでてくる。
疲れた表情で、私の帰国をねぎらってくれた。

時計をみると17時過ぎだった。

朝7時に電話もらい、10時間後にもう帰ってこれるとは
近くて遠い、でも本当は近い隣国なのだとも思った。

家に上がり、aiaiと目を合わし、少しうなずきあって
奥の部屋のお父さんに手を合わしに行く。

横たわるお父さんを見て、その死を現実のものとして
受けととめた。

とても安らかで、穏やかで、眠るようなそのお顔。
本当に今に起きてそうとは、よく映画や、ドラマで
聞くがそのとおりであった。

最後の最後まで、生きると意志にみなぎっていた
お父さん。私が9月に帰ったときも、いつもどおり
ひょうひょうとしていたお父さん。

その最後の姿がそこにあった。

aiaiと2人で、一緒に手を合わせた。

穏やかに眠るお父さんに。。

つづく。。。

ランキングクリックをお願いします。

ダウンダウンダウンダウンダウン

ブログランキング



12月1日の朝4時半、いつものように海岸線を走り、豆乳を豆から引いて
会社にいく準備をしていた。

いつもは朝7時に家をでるので、ちょっと遅れ気味であった。
トイレに入ろうとしたら、携帯電話が鳴って、aiaiからだった。

aiaiのお父さんが今朝方亡くなったと。
私は驚いた。
つい昨夜、aiaiとの電話でお父さんのお見舞いに行って
元気そうにはっきりした声で、大丈夫だからと言っていたと
聞いたばかり。

私も今月中のどこかの週末に帰国し、お父さんには一時外泊してもらって
お見舞いに伺おうとしていた矢先。

aiaiも来来週くらいでいいのではと言っていた、次の日の朝のことだったから。

会社に行くバスに遅れると思いあせりながら電話をとったので
電話をおいても、そのあせりがそのまま残っており

まだネクタイをしめて会社に行こうとしている自分に
おちつけ、おちつけといい気かせ。。

まず会社の総務の社員に電話して、すぐに大阪への
フライトを手配してもらった。

お昼の飛行機が取れるはずだと思い、とりあえず会社の幹部社員に
急遽することを伝え、上海の本部の上司にも連絡。
おちついて、緊急帰国申請をメールで流し、本当は週末から天津北京に行く予定で
日本からメイスイ姉さんが遊びに来る予定であったが、そのあたりも全部電話でキャンセル。

作りかけの豆乳を飲んで、茶碗を粗い、洗濯機まで回して、干すところまで。。

少しずつ落ち着きを取り戻し、また総務の社員から電話がり
フライトの予約が完了したと。。。

12時20分のフライトで、すぐに空港に向かった。

飛行機を待つ間、飛行機に乗っている間もずっと
aiaiのお父さんのことを思い出していた。

体が悪いということは知っていた、すい臓がんである。
末期であったため、長生きはできないとは知っていたが
まさかこんなに早く亡くなるとは。。。

aiaiのお父さんとのはじめてお会いになったのは
2005年の1月の上海。。。

その2ヶ月前に、私がaiaiにプロポーズをして
その話を聞いた、お父さんが、うちの一人娘と結婚する
相手とは、いったいどんなやつなんだと
上海に乗り込んでこられたのである。

まだ上海へ留学したての私、日本の仕事もやめたばかりで
無職で学生身分でありお金も持っていない私、
その後まだアメリカに行こうとしているそんな私を
快く認めてくれた心の大きなお父さんだった。

冬の上海で、お酒を飲みながら寒い中
鼻水をたらしながら、aiaiを頼むと言ってくれたおとうさん。

そんな事を、思い出すと涙がでてくる。。

飛行機は定刻どおりに大連空港を離陸した。。

つづく。。。




ランキングクリックをお願いします。

ダウンダウンダウンダウンダウン

ブログランキング

実は、1週間前に父が亡くなりました。

今年の7月に膵臓がんがわかり、

その時点で手術が出来るような状況でもなく、

持病に糖尿病を持っていたこともあり、

治療が思うように進まなくて

こんなに早くに悲しい結果になってしまいました。


私が帰国し、お見舞いに行った翌日に

亡くなってしまったので、私の帰国を待ってくれていたようです。


病気がわかってから、心の準備はしていたものの、

いつも元気で、元気でいてくれるのが

当たり前だと思っていました。

なので、実感があるような無いような

1週間たった今、ようやく現実なんだなぁと実感が沸いてきました。


父はテニスをしたり、飲みに行ったり、

ハイキングに行ったり、地元大好き、

友達大好きでした。

夜遅くまで、たくさんのお友達の方々が弔問に来て頂き、

突然の事に驚いたり、涙したり

私が知らなかった父の話を聞かせてくれたりと、

もっと、いろんな話を聞いておけばよかったなぁ~

と思うことがたくさんありました。


とても、賑やかな旅立ちを迎えることが出来て、

父も喜んでいると思います。


最近、私達夫婦が愛読している、コビィー氏の

『7つの習慣』の中にある第二の習慣の中に、

人はお葬式の際、弔問に来てもらった人に

どんなことを語ってもらいたいか??

家族には??

子供には??

友人には??

会社関連の人には??

そこに、自分の人としての最終目標があり、

そこで自分がどういうように生きていきたいのかがわかると

いうことが書かれておりました。

私はすごくなるほどなと思っておりました。


父は基本的にとても優しい性格で怒られた記憶もないし

いつも私がやりたいと思うことを応援してくれていました。

特に多くを語るような性格ではなかったのですが、

一つだけよく話していたことがありました。

友達は大切にしないといけない

つきあいはとても、大切で財産であると。

助け合える関係を築いていくことが大切だと言ってました。


その結果が、たくさんのお友達に囲まれて最後を迎えることが

できたんだなと思うと、

人はここに向かって、生きてるんだなって

言葉にすると、漠然としたものになってしまいますが

生きざまというのを感じたように思えました。


お友達の皆さん、励ましの電話やメールを頂いて、

本当にありがとうございました。

もうすぐの出産でお腹はどんどん大きくなり、

動きづらくなってますが、赤ちゃんは元気いっぱいです。

父も次男クンの妊娠をすごく喜んでいたので、

きっと見守っていてくれてると思って頑張って出産したいと思います。


身内に不幸があり

私も緊急で帰国します。

ブログちょっとお休みです。


ken



僕にとって、上海は、最初に経験した中国。はじめての

中国旅行、留学でおりったたのが、上海。


その上海にはトータルして1年も住んでいないのだが

やはり私にとっては、特別な街。


留学時代もあったので、わくわくさせてくれる街。

どきどきさせてくれる街。


最近会議がらみで、よく上海に行く。といっても

日帰りだったり、1泊だったり。


夜タクシーで浦東の金茂タワーを通り過ぎた。

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ


↑6年前にここの73階のキングサイズの部屋で

aiaiにプロポーズしたのだ。。とか思い出し。。。


のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

↑それからしばらくして、その隣にもっと大きなビルが

上海ヒルズ!!!!

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

↑高くそびえたつネオンを見上げて。。


いつも上海を感じる。。


そんなしみじみとした感じですが。。


↓花より団子で、、、私の大好きなCOCO壱番のカレー



のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ


会社のオフィスの前にCOCO壱番があったので

会議中からお昼が待ち遠しくて、行ってきました。


何でも天津にもできたとかで。。。


大連にもできないかなあ。。


おっと、今日のタイトルは、『上海』ですから。。


そういえば、また再来週も上海だ。。



本日も、下記ブログランキングに
ぽちっとワンクリック、宜しくお願いします。挨拶挨拶

皆さんの応援が励みになります。


ダウンダウンダウンダウンダウン

ブログランキング


昨日、aiaiと 翔世が帰国した。


お昼2時15分の便で大阪へ。翔世には事前に今回は

パパは帰られないから、ちゃんと翔世が、ママと弟を守るんだよ!!

って言い聞かせて。


しょーせーまーもーる!!っと言いながら、税関を通り抜けていった。


私もちょっと目をうるうるさせながら、見送り

しょーせーも目がうるうるしていたそうな。。


でもさっき、ついたってaiaiから電話があって、

私が、しょーせーに電話代わってって言ったら


しょーせーは、パパいーや!!って言って代わってくれなかった。


電話ぎらいのしょーせー!!あのやろうとか思いながら

でも無事についてよかったなと。


前日の夜、aiaiがおなかのはりの感覚が短くなっていて

ちょっとだいじょうぶかなと心配だったが無事に到着したと。。


空港で見送り、自宅に戻ると


妙に広い部屋を感じながら。。


独り言もつぶやくことなく、もくもくとしょーせーがちらかした

おもちゃと、着替えを片付ける。。。


まだお昼過ぎだったこともあり、せっかくの日曜日と


着替えて海岸線を2時間ほど走ることに。。。


実は前日も、朝6時から和平広場から星海広場から

老虎灘まで走ったのだが。。。


今日も付家庄から解放路を曲がり、東北路まで1時間40分ほど

走り、バスで帰ってきた。


その後、夕方6時に和平広場の吉野家で一人でご飯他を食べて

スターバックスで、21時まで読書。


ドラッガーのマネジメント、ビジョナリカンパニーを読みながら

はあ、なんて今日は充実した1日なんだとか思いながら。。


今日から半年ほど帰国してしまった、aiaiと翔世!!


家族結成からはじめての長期の単身赴任。。


明日からしっかりがんばります。


本日も、下記ブログランキングに
ぽちっとワンクリック、宜しくお願いします。挨拶挨拶

皆さんの応援が励みになります。


ダウンダウンダウンダウンダウン

ブログランキング








一昨日に2歳9ヶ月になった翔世!!


シッターもいなくなり、家庭での中国語がめっきり

減った私たちですが、翔くんは所々が中国語。


語気の使い方が、中国人っぽくて、

私たちより言葉の受け止め方


きつい言い方や、やわらかい言い方が

わかるようで。。


たとえば私が冗談で

強い口調で、不対(ぶーどぃ) 日本語で違うよって意味。


っというと、結構受け止め方が違うみたいで

怒り口調で、何がちがうの、、、対(どぃ) って言い返してきます。



あと驚いたのは、右の物とって、左のものとって

とか中国語でいったら、左右も理解しているみたいで


日本語でも言ってみたら、瞬時に判断できるようで、完璧で。。。


確か自分の小さい頃を思い出してみたら、小学校でも


右っていったら、お箸をもつほうで、、って迷っていたような。


そう考えたらすごいなあと思い。って親ばかですが。


魔の二歳児も、もうすぐ終えて、3歳に突入する

翔世くん。。。そうこうするうちに、弟君が生まれてきます。



本日も、下記ブログランキングに
ぽちっとワンクリック、宜しくお願いします。挨拶挨拶

皆さんの応援が励みになります。


ダウンダウンダウンダウンダウン

ブログランキング