今日は918満州事変の日(旦那ken) | のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

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本日9月18日は、満州事変の起こった日。


今日からちょうど1年目、私の父が大連に

やってきて、一緒に旧満洲国をまわり。。


一緒に日中の平和を願ったのですが


それからわずか1年で、こんな大変遺憾な状況です。


今日も大連でも、小規模ですがデモ行進が


あったそうですが、上海北京などその他の都市に

比べたら、やはり大連は安全なのでしょうか。


都市として小規模で、日系企業も多く

多くの人が日本と触れ合う機会が多いからなのか

親日的なのか。。。


あの時代に、血が余り流れていないからなのか


理由がわかりませんが、今日の瀋陽は


それなりの規模で、デモ行進が行われたそうで


さすがに今日という日、多くのスーパーで


自社の商品も含めて、日系の商品は棚から

さがれているそうで。。


しかし多くのスーパーは、明日には元に

戻すとのバイヤーからの連絡を受けていて。。


多くのスーパーは、反日的意味ではなく


あくまで、刺激しないように、変なとばっちりを

受けないようにの処置なようですが。。


私は今日は、会社が休みで、多くの日系企業や


レストラン、スーパーなど臨時休業の処置を


とっております。


翔世は普通に、幼稚園に行きましたが、


一応翔世は中国系の幼稚園だから。。


翔世には、朝こう言いました。


翔世、大丈夫だと思うけど、万一危ない目に

あったら逃げろよ。。って言うと。。


翔世は、、うん、お父さん、あのね滑り台の

下に隠れるよ。あそこは大丈夫だからって

言っておりました。。。


私は、今日は中国語教室の日で。。


最近、また中国語を習い始めました。


中国に来て、7年ですが、ここ数年まったく

中国語が進歩しておらず、同じ言葉の繰り返しなので

ちょっと目先を変えるために。


習い始めたのですが。


マンツーマンのレッスンで。。授業内容は

新聞、雑誌、ネット記事で、直近の中国での

ホットの話題を取り上げながら、記事を読み込んでいき

先生とディスカッションするというものですが。。


今日の授業は、昨日先生にメールをうち


尖閣諸島問題をお願いていいですか聞き


先生も、非常にセンシティブな問題ですが


それでもいいのですか?と聞かれたので


是非宜しくお願いしますと。。


満州事変のあった9月18日という

センシティブな日に、


センシティブな課題を設定し


行って参りました。


数日前から尖閣問題をブログでも書いていたので


モチベーションたっぷりで、なおかつ


よい中国語の勉強にもなりました。


やっぱり新聞雑誌に出てくる単語は

普段ではまったく使わない言葉であり


また、政治問題など興味深い専門の話題と

単語でており、面白かったです。


先生は、まず英語での尖閣諸島を定義した

記事を用意し、そこから中国内で定義した

記事を準備。。ウェキペディアの英語版と

中国版を準備して、その違いを読み込み。


その後、中国の論調を書かれた記事を準備

してくれました。



先生は、日本での留学経験、シンガポールでの

仕事経験、ヨーロッパでの大学博士号経験と

国際的な経験の多い中国の内モンゴル出身の

先生でした。英語、中国語、日本語の堪能で。。


先生自身あんまり政治に興味があるわけでは

ありませんが、一般的な中国人の意見としては

聞いたり、討論することはできました。


そんな先生でも、親日であり、ヨーロッパの

大学院をでて、また私とは先生、生徒という

関係、また私はお客様という関係上

充分気を使ってくれはいますが、


やはり本音は、尖閣は中国のものだろうとい

印象を強く受けました。まあ当たり前ですが。。


そして、私は日本人なので。。


中国に住む日本人として、どのようにこの問題を

据えればいいのか、授業の前に事前にお断りをし


中国側の論理を、聞きたいと申しました。


やはり、その内容は、昨日私がブログで書いたように


やはり近代以前の歴史より、尖閣は台湾の領土であり


台湾は中国であるという、ロジック。。


そして、日本側が講じているロジックは、すべて

近代以降の、中国が満身創痍だった頃の歴史が

採用されているロジックであると。。


ただ、一つ強調されていたのは、それ以上に


尖閣を日本と認めることは、その歴史ロジック

以上に、やはり国辱という気持ちが強く


あの悲惨の日中15年戦争を思い起こし

絶対にあの国辱認めたくない。。


その思いが強いのだと。。


私達日本人は、


ツリー上にロジックを積み重ねて。。


あーでしょ、こーでしょ。。と言ってみたところで


やはり、感情的な、ものであるということを

理解しないといけないと感じました。


ポイントは、はやり尖閣と、日中戦争の国辱が

結びつく。。これなのだと思います。


そして印象に残ったのは、やはり中国の弱腰外交。。


これが許せないというのが、中国国民感情で。。


日本の外交が強い。。それに中国が負けている。。


そのように、仰っていました。


うーん。。。


日本もまったく同じで。。


日本人は中国の強い外交に、日本政府が屈している



なんなんでしょう。。このボタンの掛け違いは。。


複雑に見えるこの問題の、国民感情の掛け違いは


すごくシンプルのところにあるのでは。。


そのように感じずにはいられない。。。


また先生がおっしゃるには、


デモはあくまで一部の人の行為であり


各都市において、数千人といっても


都市人口は小さいところでも500万人


大きい都市で2000万人近い。


そんな中での数千人とほんの少しであるとも。


今日のお勉強の記事の中で


大連の半島晨报の歴史証拠資料のでは以下のように


難しい漢字も多く、ちょい適当に、だいたいで訳しておりますが


1534年:使琉球録(明嘉靖年間柵封使が琉球に戻った後に

書かれた著作)の中で、釣魚峠は琉球に属する。。。


1555年:鄭瞬功に陳述されている当時の中国は地理的角度

より釣魚しまは台湾の付属である。。。


1562年:高名な地理学者である鄭若曽の沿海山沙図の中に

中国領土として記されている。。


1736年:清政府第一任巡台御史の黄叔敬の台海使差録に

台湾に属すると記載されている。。


1863年:皇朝中外一統輿図に、尖閣近辺の島々、琉球は

中国領土として記されているとか。。


1871年:。。。。。。。



1945年:。。。。。。。



訳すのに疲れましたが。。それぞれの文献を北京国家図書館に

展示しているという記事と写真がのっておりました。



このあたりが、私が言う、近代以前の歴史ロジックを採用という


意味です。。が。。。



今日の中国語レッスン、中国語としても、尖閣問題としても

大変、お勉強になりましたが。



本日9月18日も無事に何事も無く、のんき夫婦家族は

終えようとしておりますが。。


本日aiaiと私が一緒に外出する時に

(aiaiも中国語の授業があったので)


ベビシッターのじゃんじえに、俺たち外出しても

大丈夫かなって聞くと。。


大丈夫!!お前たち家族は、翔世以外は

みんな中国人に見えるから。。没有問題(めいよううぇんてぃ)


問題なし!!翔世は顔立ちが日本人っぽく

端正であるが、


私も、蓮世も中国人顔だから大丈夫。。だと


なんでもaiaiは典型的な中国人女性っぽいらしく。。


そういえば、aiaiは初めて、中国に来て

その初日からなぜか、いろんな中国人から

道を聞かれるので、私がとなりにいても

なぜかみんなaiaiに声をかけており。。。


すごく中国人顔だそうです。。


こんな時には、そんな特徴も心強いなあとか


思いながら。。。


さて、明日からお仕事、お仕事。。。


はやくいつもの、中国に、日中関係にもどってくれることを


祈っております。


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