今日で最終回にしようと思う、父の旧満州国を旅するブログ!!
80年前の戦争を、思いながら、植民地建築を観て周り
大連⇒長春⇒旅順⇒瀋陽⇒丹東と最後の地にやってきた。
北朝鮮との国境である丹東市。父にとって遠い遠いとなりのとなりの
北朝鮮が、目の前30メートルに広がる。
そんな戦争時代をずっとひきづっていたこの北朝鮮の国境の
ブログを書こうととしている、さなか北朝鮮の金正日総書記の
死亡の一報が飛び込んできた。
この国は、ずっとずっとあの植民地時代を今でもひきづっている
のだと思う。時はとまったままの。。
その国の対岸から父一緒に訪れるため。
瀋陽から列車で、向かったのである。
↑丹東駅到着。到着と同時に周りを見渡す父は
それらしい、建築群をみつけようと鼻をきかせていた。
↑例によって、駅前広場には毛さんの像が。
↑トゥクトゥクの3輪車でホテルへ。ゴキゲンの父。
↑例によって、私も今回で4回目の北朝鮮と
中国を挟む鴨緑江の断橋の付近にある
平壌高麗飯店へ。
↑北朝鮮料理に大喜びの父。
↑歌って踊れる、服務員の北朝鮮人の美しい
私は今回で3回目ですが、いつきても思うのは
この景色は優雅であると。
韓国側の国境は、銃をもった兵士たちがうろうろしている
はずなんだろうけど、この中国側の国境のゆるいこと。
観光客がこんなに近くまで近寄れるどころか、
中国人は1万円くらいのツアーで、入国できる。
外国人はその10倍だとか。
↑対岸の建物は、北朝鮮の領土内で
↑こちらは、中国側の街で、河を挟んで
兄弟国の貧富はこんなに。。
↑中国の国旗に奥の北朝鮮の風景に。。
丹東は1泊2日で、丹東から大連へは長距離バスで
帰らなければならいないのだが、切符が売り切れで
とれず。
仕方ないから白タクと交渉して、乗用車で5時間かけて
大連にもどりました。
狭い車に何人も詰め込んでの白タク。それでも
切符がうりきれだったので助かりました。
大連にもどり、この2週間の長旅の疲れがでた父は
下痢に。それもひどい。。。
夜中に病院に駆け込み、3時間ちかくも点滴の前に横たわり
なんでも生まれて初めての点滴だとか。。
それはそれは。。大変お疲れさまでございました。
翌日は家でゆっくりとくつろぎ、その翌日父は日本に帰って行きました。
今回の2週間の父の旅は、おそらく生まれて初めてのもの。
小さい時から怖くて近寄りがたく、二人っきりでいると
緊張するあの厳格な父と、
おそらくはじめてこんなに長い時間を接したことはなかったでしょう。
そんな父と、父の生まれ故郷であり、私が小さい時からいつかは訪れたいと
言っていたその地を、一緒に訪れることができ、つれていくことがで
とてもよかったと思う。
中国に来た目標というか夢というそういうもののうちの一つだったので。
まだまだ父も若いので、まだまだ体力あるので、
次回は一緒にハルピンの地を訪れ、一緒に731部隊を見に行こうと約束しました。
その約束が果たされる日を楽しみにしております。
父!!大変お疲れさまでございました。もうすでに12月だけど。
おしまい。。
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人気がなくてアクセス数がどんどんさがっていき
友達からもおもろないでと、言われながらも
父との思い出つづることできてよかった。