ロシア語で遠方という意味をもつ『ダーリニ-』それが漢語化して
大連になったというこの街の歴史は、ブログをかきながらだんだんと
引きこまれていく。
当時イギリスである大英帝国の欧亜政策は上海、香港、シンガポールの
の都市を国際商業都市として築きあげ、それに成功し、欧亜の航路をも
牛耳りアジアを制そうという力であったのに対抗して
帝政ロシアが、ウラジオストックから東清鉄道を敷き、シベリア鉄道と
連結させ、アジアとロシアをつなが、大連と旅順近郊に港をつくり
商業都市にそだてあげるという、壮大な帝政ロシアの世界戦略の
南下政策のなかで、創り上げられつつあった大連!!
そんななか、日露戦争で勝利した日本が、その都市づくりを
ひきつぎ、街にはロシア建築と日本建築が混じり合う!!
私が大連で一番好きな場所!!それが大連市内の中山広場である。
中山広場は10本の放射線道路の中心に位置し、
周囲には当時の行政機関や銀行が集められていた。
建築様式は歴史主義建築の影響が強く、
ゴシック建築やルネサンス建築を基調とした建物が並んでいる。
↑1940年代の中山広場である。
以前のブログで紹介した旧ヤマトホテルをはじめ
様々な日本人設計者による近代建築が立ち並ぶ。
しかも、当時からさほど、いらわれることなく
そのままに残されている!!
大連中山広場の真ん中は公園になっており
そこの中心にたち、360度を見渡せば
それらの名建築をみることができる。
↑現在の中山広場!!
↑まず旧ヤマトホテル!!!
そこから時計回りに、紹介!!
↑旧大連警察署(大連民政署)
今はシティーバンクの看板がついております
↑旧朝鮮銀行大連支店
設計者はやはり、長春の時と同じ中村與資平!!
現在は中国工商銀行!!
↑旧関東逓信局!!現在は郵政局
↑旧横浜正金銀行!!現在は中国銀行
↑旧大連市役所!!現在は中国工商銀行!!
ぐるっと一周すると8つの、これらの近代建築を
見ることができます。
私個人的には、いつもここにくるとなぜだかドキドキ
します。
実はこのあと、父と二人で大連の新聞社に2社ほど
乗り込みます。
前回ブログで書いた、これらの建築や戦争遺構の
世界遺産として登録するための、意見を聞きに!!
1社は相手にされなかったですが、
もう1社は、それなりには、話を聞いてはくれましたが。
何故、中国の東北地方ではここまで徹底して
あの苦い戦争の時代の建物を徹底的に再利用しているのか!!
そんな質問をすると!!答えは2つ!!
1つは、はやりあの時代の国恥を忘れないため!!
そしてもう一つは、やはりこれらの建築価値が非常に高い
ということ。
当時の日本人の設計者の欧米留学組やその弟子たちの
設計した建築であり、80年~100年たった今でも
しっかりと衰えること無く、使われている。
そのように言っておりました。
いつまでも、いつまでもここにこれらの
老建築が存在し続けること。
それはとても、いいことだと思います。
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