朝起きて、昨日の新聞社へ乗り込むという熱い話は冗談かなと
思い、そのままやりすごして、今日はどこに行こうかと
問うと、やはり長春日報にいきたいと言う。
父は言う、案ずるより産むが易しと。
私も腹を決めて。。。
長春日報の場所は、新民大街で昨日まわった
旧満州国八大部の建物がある通り。。
さあ、腹をくっていざ建物に入っていく。。。
誰もいない!!!保安のおっちゃんが出てきて
何のよう!!
今日は土曜日!!お休み!!!
保安のおっちゃんは、丁寧に話を聞いてくれてたが、
今日はとにかく誰もいないですよと。
拍子抜けと言うか、少しほっとしたような。
諦めない父は、今度は長春日報の向かいにあった
長春電視台(TV)に行くと言い出す。
私も観念して、そのまま道路をわたって長春TVへ
ここでは、既に門で追い返された。
まあ当たり前の結果であるが、
中国でのメディアに乗り込むには、それ相応の人脈がいるのだが。
私はほっとしていたが、父はまだ諦めない。
今度は大連に戻ってまた探すと。
実は泊まったホテル横が、吉林省共産党委員会だったので
朝出る時にここにもよったのだが、ここも武装警察が完全カードで
入ることも許されない。当たり前だが。
しかも、我々は恐ろしいことにあとから気づいたのだが
この乗り込んだ日は、9月18日であった。
9月18日そう918事件といわれる、満州事変が起こった日で
確か80周年か何かで、大規模な活動が行われている
さなかであった。
だから偽満州国溥儀の博物館にも多くの人民解放軍が訪れて
いたんだと後で気づきました。
今考えればぞっとしますが、父はなんだか更に燃えているようで。
まあ拘束されたりすことはなく、ほどなく無視されたということで
よかったかなと。
その後大連に戻り、大連の新聞社に乗り込んだ時は、
ちゃんと話を聞いてくれて、その担当者も個人的には大変興味深いと
言ってくれたが、なにぶん戦争絡みはセンセぃティブな問題で
簡単に一担当者個人でどうこうできる問題ではないとかで。。。
最後は父も、手応えがあったにしろなかったにしろ
なにやら満足な様子でしたが、日本に帰ったら諦めずに
日本の文化庁を通して、ユネスコに申請するとかしないとかで。。
私としては、一息子として、父の願いをかなえることができたかなと
満足ではありましたが。。
たった2泊3日の長春旅行でしたが、父としては60数年ぶりに
訪れた自分の生まれ故郷。長春、旧新京、旧満州国首都。
大変満足そうに、空港を後にします。
旧満州国を旅するシリーズ、第一幕が終わる。
これからまだまだ大連、旅順、瀋陽、丹東と旧満州国を
回るのだが、まだまだ元気いっぱいの父。
たくさん歩いたがつかれること無く、身体を壊すこともなく
大連に一旦もどります。
お疲れ様です。
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