老建築と売春宿~旧満州国を旅する⑩~(旦那ken) | のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

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長春駅前の旧ヤマトホテルを見た後、父がこの近辺の

建物を見てみたいといいだし、長春駅の東側をブラブラと

散歩してみた。


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↑路地裏に入ったり。。。


この界隈には、ガイドブックや旧満州国の日本人設計

建築のの専門の本には出ていないような、隠された

日本人が当時に設計した建築が多く残っていると

思われる。


父は、街を歩きながら、建物を一つ一つ眺めて

それを確かめていた。


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↑長春駅の東側の道にそれていくと、それらしき

建物がいくつもある。




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↑道路の向かいに、2つ大きなそれらしき建物が

あり、その真ん中に小さな建物もある。


開業したばかりのワインショップで、中に入ると

アルバイトらしき綺麗な女性がいて、この建物はと

聞くと、そうです日本人が大昔に設計してたてた

建物だと聞いております。と言われた。


アルバイトの女性がそれをしっているということは

それなりに、言い聞かされている名のあるものだったのだろうか。


さらに足を東側に向けて歩き出した

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↑今度はボロボロの建物がたくさんみかけた。


父は、これも戦前の建物じゃないのかというが

住民に聞くと、これらは70年代の建物だそうで



何人の人にも聞いたが、やはり70年代、古くて60年代で

あった。


父曰くは、これだけ多くの人に聞いてそういうんなら

間違いないだろうが、


しかし建築といのは、結構伝聞でその歴史が

伝わるもので、意外に意外に実はということが

往々にしてあると。。。

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多くの今にも壊されそうな建物がたくさんあり

それでもその中に多くの住民がいて、ちゃんと

生活をしている。


日本も戦後多くのこのような住居が壊されて

ニュータウンとなり、変貌を遂げたが、ここ長春では

まさにこれから、その変貌が始まろうとしてる。


父は、今の風景をノスタルジックに感じながら

眺めている。時々道端に座り込んでは


街を眺めている。


街をぶらぶら歩きながら、日もくれてきた。

少し冷え込んできて、私も腰がいたくなった。


タクシーをひろおうにも拾えず、ブラブラと

歩いていると、とある円形広場にでてきた。


そこに、大きなサウナがあった。


父にここで、ひとっ風呂あびて帰ろうかと。



父はそのサウナの建物を見て、これもひょっとして

昔の建築なのでは。。白い外観は綺麗にされていて

一見は、よくある最近造られたレプリカのような建物に

見える。


私は父に、まさかそんなただのサウナでしょうと。


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↑外観はこんな感じであった。


中に入り、ロッカーのキーをもらい、タオルをうけとり

お風呂に入る。


古いお風呂屋さんで、中ではアカスリマッサージを

してもらった。


上にいって、マッサージをしてもらおうと、30分くらい

湯船に浸かり、二人で上への階段を上がった。


父は階段をあがりながら、その手すりなどを見て

いやこれは、昔の日本人が作った建物だよとかブツブツ言いながら

階段をあがってくる。私は、まさかこんなお風呂屋さんが。。


階段を上がると、10人くらいの女性がソファーに座っている。


そう、ここは売春宿である。


通常中国のサウナは、中国語で洗浴中心というのだが、


中心とはセンターという意味である。サウナセンターみたいな意味だが


中国ではだいたい90%以上の、サウナはこのような売春宿を兼ねている。


特に中国東北地方は盛んな一大産業である。


ある人に聞いたら、上海は金融中心、北京は文化中心、瀋陽は洗浴中心

と揶揄されるほどである。


階段を上り、それらの女性たちが、いらっしゃいませと言う。


私は2人ですが、マッサージをお願いします。と言う。


くれぐれも、普通のマッサージでお願いしますと。


後ろからヨレヨレとあるていくる父をみて


彼女たちは、あの老爺(らおいえ)はまさか

あなたの父??と言われたので


そうです。と答える、、みんな流石に親子で

こんな所に来るんだから、普通のマッサージなのだろうと

察したようだが。。。


私と父が、ソファに腰掛け、マッサージを頼むと


何人かの女性が私のところにやってきて、


あなたは若いんだからやりなさいよと


誘いに来る。私は、いやいや父と一緒なので勘弁してくださいと。。



『くれぐれもaiaiに誤解されないように言っておくが

私は外で、そんなことをしませんので、、家族思いのパパなので(笑)』


父とソファーに腰掛け仰向けに寝ながら

マッサージをしてくれる人を待つ。


ふと天井を見上げて、思った。


親父!!やっぱりこの建物は日本人が設計したのでは。。


父も見上げて、頷いた。だからいったろうと。


天井がアーチ状になっており、昼間に回った

旧満州銀行のように白い円柱の柱があり、


おそらく一階のサウナやお風呂は完全に改装しているが

2階からはその内装が残っている。


先ほどの階段の内装も残っている。


マッサージのおばちゃんが来たので、聞いてみた。


この建物はまさか。。日本人が設計した建物では??と言うと。。


おばちゃんは。。


そうだよ。。ここはおそらく、80年90年前に立てられた

建物だよ。日本人が設計していたと聞いている。


銀行だったらしいと。


市政府はこれらの建物を壊すことを禁止しているから

かならず利用しなければならないと。。


何あんたたち、日本人なの?と言われ。。


私はおばちゃんに、この長春に来た経緯などを話した。


たいそうめずらしがって、いろんなことを教えてくれた。


おばちゃんと話している間も、何人かの女性が

私を誘いに来る。。のだが。。


父と一緒に、なんか複雑な気持ちだけど、

それでもちゃんと、あの時代の建物をこうやって

サウナになっても、売春宿であっても使って

もらえているということに、なんだうれしさと感謝の念を覚えた。


見方を変えればそんな建築物をサウナで売春宿に使うなんて

とおもわれるかもしれないが、それでも残っているというだけで

ありがたい話である。


先ほどの洗浴中心といわれる地域であるがゆえに

このサウナという場所での再利用は普通のことなのかもしれない。


ここは2階で、3階が売春の部屋であり、内装もそのまま残っている

そうなのだが、さすがに3階までには足を伸ばさなかったが。


薄暗いフロアーを眺めながら、ソファーに座る女性たち。。


部屋の間隔ごとに白い丸い柱があり、なんとも不思議な光景であり


ミスマッチなのだが、でもなんともいい雰囲気であると私は感じた。

父もなんだか不思議な体験だと言う。


誰が設計したのだろうか、前回書いた、中村與資平であろうか。。


いろいろなことを想像する。


マッサージのおばちゃんが私達を気に入ったらしく、マッサージが

終わってもいろいろと話しをしていた。


2時間ほど上のフロアにいて、下に降りて、もうひとっ風呂あびて

着替えていると、下のフロアでは日本人がきていると広まったのだろうか

色々な従業員が話しかけてくる。


まあこんな所に、日本人はこないだろう。。


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↑長春駅から南東に走る勝利大街を通って

徒歩20分くらいにある南広場の円形広場にある。

浴渓隆洗浴中心



外に出て、もう一度建物を見上げる。。

よくよく見ると、綺麗に壁は塗りなおしているが、昔の銀行のような

気もしてくる。


まあよく見ぬいたなあと、父の眼力に感心した。


まだ晩御飯はたべていなかったので、近くの韓国料理で冷麺を

食べてホテルに戻った。


まだまだ知られていない多くの建物がある。

おそらく大連にも、瀋陽にも。。。


しかもそれらを壊さずちゃんと保存して使っている。


サウナになってまで。。まだまだ掘り起こし見たい気がする。


さあ明日は大連に戻る日だ。。。






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