この日は、朝から儀満皇宮博物院に行ってきました。
中国のラストエンペラー溥儀が満州国の皇帝に即位したとき
新宮殿(通称地質宮)の完成前に、仮の宮殿として造られたのが
この場所である。
結局工事は中止となり、その後満州国の崩壊で
新宮殿にいけることは、なかった溥儀の仮の住まいである。
↑長春市光復路5号 入場料は80元。
長春市の北東に位置し、少し市街からはなれます。
多くの観光客が訪れており、バスがたくさんと
まっていました。
↑興運門-門の上にある紋章は満州国王家の紋章
この紋章の裏側の門は時計になっており
満州国が崩壊して、溥儀達が逃げるた時の時間のまま
とまっているとか。↓
↑満州国成立から1938年まで溥儀が執務した
満州国執政府、宮内府勤民楼↓
↑1636年の清国初代皇帝のヌルハチに始まり、
最後の皇帝溥儀までを記した
↑ラストエンペラーこと、愛新覚羅溥儀は
なんと3歳で即位している。
今の翔世と同じ年で、皇帝に即位。
清国皇帝、満州国皇帝、その後ソ連への抑留と
動乱の中のその人生。
偽満州国では傀儡政権と言われたが、戦後は
ソ連への抑留、東京裁判でも証人として尋問され
ソ連への有利発言を強要されたとか。
- わが半生―「満州国」皇帝の自伝〈上〉 (ちくま文庫)/溥儀
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後に認めた自叙伝『わが半生』では、
「今日、あの時の証言を思い返すと、私は非常に残念に思う。
私は、当時(東京裁判の時)自分が将来祖国の処罰を受ける事を恐れ」、
「自分の罪業を隠蔽し、同時に自分の罪業と関係のある歴史の真相について隠蔽した」
と記している
↑1959年に特赦され、その後満洲族の代表として
中国人民政治協商会議全国委員に選出。
文化大革命のまっただなか、がんを患い
1967年に死去した。
↑↓918を忘れるな。江沢民。
後に知るのだが。
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