愛新覚羅溥儀~旧満州国を旅する⑧~(旦那ken) | のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

ご訪問、ありがとうございます!!夫&嫁で更新♪
ken(夫)は、中国でのビジネスは中国での出産(天津ローカル病院にて出産)・育児話をメインに♪

この日は、朝から儀満皇宮博物院に行ってきました。


中国のラストエンペラー溥儀が満州国の皇帝に即位したとき

新宮殿(通称地質宮)の完成前に、仮の宮殿として造られたのが

この場所である。


結局工事は中止となり、その後満州国の崩壊で

新宮殿にいけることは、なかった溥儀の仮の住まいである。

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

↑長春市光復路5号 入場料は80元。


長春市の北東に位置し、少し市街からはなれます。


多くの観光客が訪れており、バスがたくさんと

まっていました。

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ



のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

↑興運門-門の上にある紋章は満州国王家の紋章


この紋章の裏側の門は時計になっており

満州国が崩壊して、溥儀達が逃げるた時の時間のまま

とまっているとか。↓



のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ




のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ


↑満州国成立から1938年まで溥儀が執務した

満州国執政府、宮内府勤民楼↓




のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ


のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

↑1636年の清国初代皇帝のヌルハチに始まり、

最後の皇帝溥儀までを記した

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

↑ラストエンペラーこと、愛新覚羅溥儀は

なんと3歳で即位している。


今の翔世と同じ年で、皇帝に即位。

清国皇帝、満州国皇帝、その後ソ連への抑留と

動乱の中のその人生。


のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ


偽満州国では傀儡政権と言われたが、戦後は

ソ連への抑留、東京裁判でも証人として尋問され


ソ連への有利発言を強要されたとか。



わが半生―「満州国」皇帝の自伝〈上〉 (ちくま文庫)/溥儀
¥1,050
Amazon.co.jp

わが半生―「満州国」皇帝の自伝〈下〉 (ちくま文庫)/溥儀
¥1,050
Amazon.co.jp

後に認めた自叙伝『わが半生』では、

「今日、あの時の証言を思い返すと、私は非常に残念に思う。

私は、当時(東京裁判の時)自分が将来祖国の処罰を受ける事を恐れ」、

「自分の罪業を隠蔽し、同時に自分の罪業と関係のある歴史の真相について隠蔽した」

と記している

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ



↑1959年に特赦され、その後満洲族の代表として

中国人民政治協商会議全国委員に選出。

文化大革命のまっただなか、がんを患い

1967年に死去した。

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ


↑↓918を忘れるな。江沢民。


のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ


この日は、なぜか軍隊の訪問者が多く、その理由は

後に知るのだが。



本日も、下記ブログランキングに

ぽちっとワンクリック、宜しくお願いします。



皆さんの応援が励みになります。


ダウンダウンダウンダウンダウン


ブログランキング