昨日の日本語教室からの続きで
今、会社の社員に日本語を教えながら
つくづく感じること。
外国語習得って、継続!!これが第一だなって。
一番いいのは、その国に行って住んで生活することが
理想ですが、なかなかそんな簡単ではい。
中国人の感心することのひとつに、外国に行ったことが
ないのに、日本語や英語など語学堪能な人が
とても多い。
日本で、英語がすごくうまい人は、イメージとして
ほぼ80%帰国子女って感じがしますが、
こっちは、その逆って感じがします。
その継続力、忍耐力には頭が下がります。
中国での語学へ真剣に取り組む
学生などが多い理由のひとつに
就職有利や、将来的に高い給与
また高い職位につくことができる、というのが
他国に比べて顕著だからではと、感じます。
なんせ、世界の外資が集中している国ですから。
あきらかに、中国語オンリーの社員とは差がついて
当然。
ちなみに、私の会社、というか天津分公司では
(他の分公司や本部でもそうですが)
日本語が話せることになんの優位も
高待遇もありません。
なぜなら、日本人みんな中国語話せるから。
話せなくても、話さないと通訳なんてつかないから。
総経理も含めて。
こうなると、日本語が話せることは、エクセルが得意
くらいのもの。
だから日本語がしゃべれるから、特別待遇なんて!!
そんなことは、まったくありません。
でも会社が立ち上げの創業期の頃、まだ駐在員が中国に来て
間もない頃は、日本語がしゃべるというだけで特別待遇となります。
また職位も、給料もぐんぐんあがっていくという傾向にありました。
もちろんそんな時代は最初の1年くらい。
会社が成長して、日本人も慣れてくると、いちいち通訳なんて
介さなくなります。そうなると、日本語がしゃべる人の肩身が
だんだんせまくなります。既に一般社員との間に、給料の差も
つき、だんだんと自身の特異性、ポジショニングが難しくなります。
社会や、組織という物は、そういうポットつきでた給与や職位の
人間について、生産性が見合わなくなったら、無意識に自然に
自動的に、排除の論理が働き始めます。
これはだれが、意図しているというのではなく、おもしろいくらいに
自然の摂理的に働きます。
ちょっと話がずれましたが、あくまで語学は手段であって
目的ではないということ。
だから、語学+何か得意分野 ではなくて
得意分野+語学っていうのがすごく重要。
しかし、語学なんて学生の頃から多くの時間を費やして
やらなければ、留学なしでしゃべるようになるのは
大変。だから大学を卒業して語学をゆるやかに
継続しながら、就職してがんばって専門分野を
きわめていかないといけない。
それゆえ、そのゆるやかなる継続が重要となってきます。
つづく。。