私は時間にルーズな人が理解できない。
誰にも迷惑がかからなくて、自分だけが時間を無駄に過ごすのはいいと思う。
でも約束の時間があれば遅れると誰かが待たされ誰かの時間が無駄になるのだ。
時間にいい加減な人間は信用ならないと父に教わって育った。
人を待たせるということは人のお金を使い込むのと同じだと父が言っていた。
時は金なりを重んじる父の言いそうなことだ。
この教えが根底にある私は時間に正確な人間だと思う。
待たせるより待つことの方がはるかに多い。
待たされるのは得意ではない。場所にもよるが。
人を待たせて平気な人は自分が待たされても平気な人が多い。
待たされても苦ではない人間は待つ人間も苦を感じていないと思っているのだろう。
このセオリーは何を言われても全く怒らない人はよく人を怒らせることに似ている。
自分が何を言われても許してしまうため、何を言っても許されると勘違いしてしまうらしい。
だから人の逆鱗に触れてしまい、逆鱗に触れたことすら気づかないのだ。
怒らない人は温厚で気が長いというイメージの裏側に究極に空気が読めないという本質が隠れている。
私も予定をドタキャンせざるをえなかったこと、人を待たせた経験もある。
きっとこれからもしてしまうこともあるだろう。
遅れるとわかった時点で連絡を入れ、どのくらい待たせることになるかを相手に知らせることはもちろんしなければどんな相手にも失礼である。
そして、心理学上待たせる時間を多く見積もって伝えておくとがっかりさせなくて済むらしい。
もう一つ大切なのは、遅れる言い訳である。
しょうがないなと思ってもらえる言い訳でないと相手の気は晴れない。
それが必ずしも真実でなくていい。
くだらない真実で気を悪くさせるより、納得のいく言い訳をすべきだと思う。
つい先日、3人で待ち合わせをしていたところ。
私以外の2人はもう一人が時間通りに来ているだろうから自分は少々遅れても大丈夫だろうとたかをくくり、結果私一人が30分以上待たされた。
二人の言い訳に不信感を覚えずにいられなかった。
言い訳がくだらなさすぎてこれからの付き合いを考えようかとも思ったくらいだった。
時間は大切。待たせたらいかん。
という自分の結論に至った。