抗がん剤治療は、薬が適合すれば症状が改善されますが、その適合する薬がなかなか見つからないことがあるようです。
抗がん剤は細胞毒で、癌細胞と正常な細胞両方とも殺し、正常な細胞の増殖スピードと癌細胞の増殖スピードを比較して効果を計ります。
ですから、かなり体力勝負の部分があり、抗がん剤治療を行う度に、本人はどんどんきつくなったようです。
また、最初の抗がん剤の効き目が良く、小康状態になった後、悪化して再度抗がん剤治療を始めると、薬が効きにくいという事例も多いそうです。(人から聞いた話ですが)
6月に入院し、2種類目の抗がん剤治療をしていた時は、本人もかなり厳しそうで、精神的にも爽鬱を繰り返していました。
ただ、治って家に帰り、会社に出て仕事ができるようにと、携帯電話でいろいろな業者や友人に連絡をとり、復帰するための気力を断たないように努力していたと思います。
中には、通常の判断ではやらないような内容の依頼もありましたので、かなり精神的に追い詰められていたように思います。
3度目の抗がん剤治療を開始する準備で、腕や足からは薬が入れられなくなっていたので、心臓の血管に抗がん剤を入れられるように血管にカテーテルを通す手術を受けました。
その時、心臓の血管が細くなりすぎていて、カテーテルが通らず、これ以上薬が入れられない状態であることがわかりました。医師も数時間いろいろと他の手段を探しましたが、本人の心臓がショック状態となり、手術は中止し、心臓の処置に入りました。
この時、もしものことも考えられましたので、家族が呼ばれ、状況の説明を受けました。
心臓のショック症状は治まり、容体は回復していましたので、「もしも」はありませんでした。
義母は義父が入院してから泊まりこみで看病していましたので、義父の苦しみをずっと見守っていました。ですから、「これ以上抗がん治療はできず、沈痛治療に移行したい」という医師の提案を、「少しでも苦しみが和らぐなら」と承諾し、医師に義父の状況を説明していました。
その場には、義母、叔母、嫁さん、私が立会ました。私以外は、涙を流し悲しんでいました。
私は悲しいという感情はあまり感じませんでした。ただ、医師の説明を冷静に聞いている自分がいました。
ちょっと前ならば、悲しいふりをするという姑息な考え方をしていたように思います。
でも、それは自分として違うと思いましたので、素の自分で現実を見ることにしました。
自分を偽ることが、回りの人に対して失礼だと感じたのかもしれません。