はじめまして
 
結婚10年目のアラフォー男性です。
 
これは、私が「男性不妊の当事者」になったときの記録です。
 
あのとき、どこで立ち止まり、どこで目を逸らし、どこで動いたのか。
 
いま振り返りながら、過去を整理するように書いています。
 
結婚してしばらく経った頃のことでした。
 
特別な問題があったわけではありません。
 
仕事もしていて、生活も回っていて、「そのうち子どももできるだろう」と、どこかで思っていました。
 
妊活がうまくいかない期間が続いても、深くは考えませんでした。
 
疲れているのかもしれない。タイミングが悪いだけかもしれない。
 
今振り返ると、それは「自分たちは不妊ではないはずだ」という前提を、疑わずに置いていた状態だったのだと思います。
 
でも、あるとき小さな違和感が生まれました。
 
ネットの記事を眺めながら、「もしかして、気のせいではないのかもしれない」と思ったのです。
 
その違和感は現実味を帯びていました。それでも、まだ見ないふりはできました。
 
病院に行く時間がない。もしそれが現実なら怖い。できれば、今は知りたくない。
 
当時の私は、前に進まない理由をいくつも持っていました。
 
分岐点を動かしたのは、妻の「病院に行こう」という一言でした。
 
そのとき初めて気づきました。
 
この違和感は、自分ひとりの問題ではない。
 
選ばないこともまた、選択になる。そしてその選択は、自分以外にも影響する。
 
そう思ったとき、「気のせいだ」と言い続けることはできなくなりました。
 
私は、病院に行くと決めました。
 
勇気があったわけではありません。
 
覚悟が固まっていたわけでもない。
 
ただ、違和感を無視するほうが、あとで自分をごまかすことになる気がした。それだけでした。
 
この決断は、思ってもいなかった現実につながります。
 
知りたくなかったことも、知ることになりました。
 
知らずに済んだなら、そのほうが楽だったかもしれません。
 
それでも、あのとき動いたことで、「次にどうするか」を考える場所に立てました。
 
いま振り返って思うのは、
 
人生の大きな決断は、最初から“大きな出来事”として現れるわけではない、ということです。
 
多くは、
「気のせいかもしれない」
「考えすぎかもしれない」
そんな小さな違和感から始まります。
 
流してしまうこともできる。立ち止まることもできる。どちらも選択です。
 
私は立ち止まり、動くことを選びました。
 
それが正解だったかは、今でもわかりません。
 
ただ、選んだからこそ、考え直す場所に立てた。
 
引き受け直す材料を持てた。
 
この文章は、あのときの自分に向けて置いている記録です。
 
もし今、小さな違和感の前にいる人がいるなら。
 
無理に大きな決断にしなくてもいい。
 
でも、なかったことにもしなくていい。
 
あとから、自分の選択を引き受け直せるように。
 
そのための、小さな一歩だったと、いまは思っています。