第二話 不妊治療②~事実に殴られた日のことの話~
はじめまして。
結婚10年目、アラフォーの男性です。
病院に行けば何かが分かるとは思っていました。
ただ、それが自分に向かってくるものだとは、正直あまり考えていなかった。
検査は淡々と進みました。説明も、手順も、すべて合理的で、そこに感情の入り込む余地はありませんでした。
数字が出て、医師が説明をして、原因が示される。
その一連の流れは、驚くほどスムーズでした。
「医者の言葉を借りれば不妊の結果は私にあった… しかもそれは重度の理由」
問題は、こちらがまったく追いついていなかったことです。
原因が「自分にある」と分かった瞬間、強い感情が湧いたわけではありません。
悲しさでも、怒りでも、ましてや絶望でもなかった。
一番近かったのは、思考が止まりながらも時間は進むとても不思議な感覚でした。
頭では理解している。説明も聞こえている。医師や妻とも何かを会話している。
でも、気持ちがどこにも行かない。正しい情報だけが先に並び、感情だけが、取り残されていました。
数字は、残酷です。
期待も、努力も、「これまでどう生きてきたか」も、一切考慮しない。
そこにあるのは、現在の状態と、確率と、選択肢だけ。
正確です。ただし、正論は優しさではない。
そのことを、自分の出来事としてこのときに初めて実感しました。
「じゃあ、このような方針で治療を考えています」と医師が伝えてきました。
流れはとても自然で、でもどこか他人事のようで、今すぐには理解できない難問のようでした。
だって、自分の気持ちが整理できていないのに、もう次へ進んでいる。
正しさが確定した直後に、判断を求められる。このタイミングのズレが、じわじわと効いてきます。
このとき、自分の中で起きていたのは、「ショックを受ける」ではなく、「立場が変わる」でした。
私が不妊の原因だった当事者になる。
逃げ場がなくなる。他人事ではいられなくなる。世界の見え方がぐらぐらと大きく崩れる。
この時の自分は受け入れられなかった。
でも、それを責める気にはなれません。
事実は、感情よりも先にやってきます。感情が追いつかないのは、弱さではありません。
事実のスピードが、人の感情を置き去りにすることがある、それだけの話です。
この段階では、前向きにもなれません。希望も、覚悟も、まだ形になっていない。
あるのはただ、「知ってしまった」という事実だけ。
不妊治療は、突然始まるわけではありません。まず「現実を知る」ことから始まります。
でも、この「知ってしまった」を受け入れなければ、次の選択肢には進めない。
そういう場所が、人生には確かにあります。
このブログでは、この瞬間を「乗り越えた話」として書くつもりはありません。
殴られた、というのは少し大げさかもしれません。でもそれくらい、衝撃は静かで重いものでした。
ただ、正論が感情を置き去りにしたとき、人は一度、立ち尽くす。その事実を、ちゃんと残しておきたい。そんなふうに思っています。