三食食べているが、この数日昼を抜いたようになっている。少し目方が増えているといつもお医者に言われたこともあって、そうしてみたが、それでもあまり腹がすいた感じがしない。

 昔読んだことがあるが、以前は日本人は二食が普通であったが、いつからか三食になったとのことである。

 京の朝粥というが、あれは京都人は食はつましくて、御飯を炊くのは一日二回。朝は、前の日に炊いて残ったものを粥にして食べるので、自然とその朝粥が売りにする料理屋も出て来たのだ、という。

 私は、そう食事に拘る方ではないので、何処がどう、という批判をする資格はないが、昔出張でスイスに出かけた時小さなグランデァヴルトのホテルの朝食はおいしかったし、モスクワのホテルの朝食もよかった。日本では、京都のホテルの朝食はやはりおいしい。

 いずれにしても、多い種類の食物の中からチョイチョイおいしそうな品をつまんで皿に盛って食べる朝食は嫌いではない。でも大体日本のホテルはおいしいパンは少ないのではないか。ジャムも。

 

  

 タバコをやたらなところで吸わないようにするというので、吸煙場所について様々な規制を強化する案が新聞紙上にも伝えられている。

 そういう動きに反対するわけではないが、その種の規制は、何処からか必ず反対が起こってきて、なかなか実行上問題を多くするのは間違いない。

 敢て言う。前にも書いたが、タバコの規制に一番有効な方法は、実質のタバコ税を思い切って高くし、売価を値上げするしかないと思っている。

 かつて、アメリカで禁酒法が制定された時に、アル・カポネなどの闇のボスを輩出したことは余りにも有名である。

 愚行を真似することはない。いろいろ考えたがタバコを飲まないようにするには、タバコの値を思いきって高くするのが一番有効である。と考えている。つまりタバコを絶滅することは、諦めて、どうしても吸いたい者は眼を回す程の税金を払って吸えと、いう態度である。もっとも、これが実現するには、ヤミタバコの製造をきびしくする必要があることは言うまでもない。

 

 

 たまたま父の勤務の関係で、私は大分県宇佐の生まれとなっているが、そこには赤ん坊の時に一、二年いたばかりで、育ちは横浜。もともと鎌倉時代から先祖代々今の横浜に住んでいたから、生粋のハマッコである、と自分では思っている。

 市歌にあるように、幕末開港までは苫家の煙で田舎の漁師町であった面影は今はないものの、ハマ育ちと言われたい一人である。

 根岸小学校へ入る前から海には入っていた。汚い泥海で、浅蜊、蛤、まて貝などをとったり、水府流の泳ぎを習ったりしていたし、櫓を漕ぐことも自然と覚えた。

 五月頃から海に入り、十月末、記憶では十一月三日の明治節の日にも海に入っていた。

 ボートも漕いだし、ヨット(借)も一頃熱心だったし、二五ノットも出る米製の船も買った。半日まぐろをおっかけて失敗したり、大島までフルスピードで飛ばしたり、やはり海はわが住み家、という思いであった。

 山中湖、伊豆の海、別府湾などでもヨットに乗った。風がなくなって、二、三時間もヨットを引っぱって、海岸を歩いたこともある。

 オリンピックの会場にもなった小港で、大学のヨット部の連中から網の結び方など一から教わったこともある。

 海はいいが、又、怖いところでもある。しかし、山か海かと聞かれれば、躊躇なく海と答える私である。