補足④ | 法友(とも)へ

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件の説法がいつであったのかと言えば、それはおそらく87年の事であったと思う。

 

ただそれが、東京本部での説法であったのか、それとも青山荘の集中セミナーでの説法であったのかはっきりしない。

 

ここでまたオウム関係者の皆さんの常識。

 

青山荘は後に東京総本部が置かれる「あおやま」ではなく、「せいざんそう」である。

 

まあ、漢字だけでも一致しているのは不思議な縁ではある。

 

 

早川は著書の中で「公言」という言葉を使っているので、当然「公言」の前には「私言」がある。

 

件の説法はそのうちの一つ。

 

 

この後、これまたいつであったかはっきりしない、麻原が自分がマイトレーヤだという前提で行っている説法がある。