件の説法がいつであったのかと言えば、それはおそらく87年の事であったと思う。
ただそれが、東京本部での説法であったのか、それとも青山荘の集中セミナーでの説法であったのかはっきりしない。
ここでまたオウム関係者の皆さんの常識。
青山荘は後に東京総本部が置かれる「あおやま」ではなく、「せいざんそう」である。
まあ、漢字だけでも一致しているのは不思議な縁ではある。
早川は著書の中で「公言」という言葉を使っているので、当然「公言」の前には「私言」がある。
件の説法はそのうちの一つ。
この後、これまたいつであったかはっきりしない、麻原が自分がマイトレーヤだという前提で行っている説法がある。