やっぱ三方ヶ原だよね~。
徳川軍1万、武田軍2万5千。
多勢に無勢のため籠城策を取り、信長の援軍が来るのを待つ。
しかし、信玄は浜松城を素通りしていく。
そのまま行かせてしまっては、浅井・朝倉連合軍と交戦中の信長は挟み撃ちにされて壊滅する。
仕方なく打って出る家康。
三方ヶ原の先は両側が谷に挟まれており背後から攻めれば敵は身動きが取れない。
そう考えて三方ヶ原に乗り込んだ家康を、信玄は全軍で待ち構えていた。
罠にはめられた、そう気付いた時はもう遅い。
もはや、絶望的な合戦が始まる。
突進する武田軍、徳川軍は鶴翼の陣で迎え撃つ。
戦国最強と謳われた武田軍は、それぞれの武将が自分の判断で動く。
信玄から下された命令はただ一つ、家康の首を取れ。
信長のようなトップダウンではなく、現代の軍隊でも最強とされるボトムアップ戦略。
信玄はただ家臣を信じ、戦況を見守るのみ。
動かざること山のごとし。
それにしても、徳川家康はどうしてこんなにも強運に恵まれているのだろうか。
武田軍が家康を打ち取ったと勘違いし、さらに信玄が突然急死する。
さらに言えば、信玄は上杉謙信と12年間も戦い続けて決着が付かなかった。
つまり、信長や家康に12年間の準備期間を与えてしまっているのだ。
まるで初めからそうなる事が決まっているかのように。