p159
「中川智正もまた、オウムの傑出した医師であり、・・・」
中川がオウムに入信したのは、これはもうしょうがないかなと思う。
中川は修行も何もしていないのに霊性が高く、クンダリニー症候群に悩まされていた。
それが麻原と出会った事ですっかり治ってしまったのだから、中川にとって麻原は命の恩人のようなものである。
入信前、友人に付いて行って道場の外で佇んでいると、歩いてやって来た麻原に後ろから「遅かったな、中川。」と声を掛けられる。
もちろん、初対面。
振り返ると、そこに光に包まれた人物が立っていた。
これはもう、入信するしかないでしょ。(笑)
麻原が光に包まれているというのは単なる事実なので否定できない。
まあ、ワシも夢の中で麻原が高弟と一緒に現れて「みんな待ってるから、早く来なさい。」と誘われた口なので人の事は言えないが。
で、いざ入信してみると高弟たちは誰も待っていない感じだったのだが、(笑)麻原は待っていたぞという接し方だった。
p161
「この情報提供者の最後のコメントは、「私には彼がどのようにして二つの顔を持ち続けられたられたのか不思議に思います」とのことだった。」
この部分は、この本の中で最も重要であると思う。
中川が二つの顔を持っていたというのには激しく同意する。
マインドコントロールだの、睡眠不足だの、酸欠だの、薬物電気ショックだの、そんなもので人を思い通りに操る事など不可能だ。
麻原が弟子たちに殺人まで犯させる事が出来た理由は、この二つの顔にあるのではないだろうか。
普通の精神状態であれば、なんの恨みもない赤の他人を殺す事など出来る訳がない。
二重人格者が片方の人格を覚えていないように、麻原は二つの顔を切り替えて罪悪感をなくして殺人を実行させたのではないだろうか。
そして事件後。
二つの人格が統合するように、彼らは正気を取り戻し一つの顔に戻った。
カルトだからといって、殺人やテロを起こすわけではない。
最後の一線を超えるためには、もっと別の何かが必要だ。
それは、生まれつき本質的におかしいか、二つの顔を持つか、そのどちらかしかないだろう。
p162
「つまり、警察が坂本家で発見したオウムのバッジを落としたのは、中川だったのだ。」
面白い仮説だが、今となっては確かめようがない。
当時、オウムに殺害疑惑がかかった直後の麻原の説法は、怒り半分・笑い半分のような内容になっていた。
麻原曰く、プルシャはわざわざ畳の縁の濃い色の上に置かれていた。
これはプルシャの色がベージュであり、畳の上ではそれほど目立たないが、ヘリの上では浮き上がって見えるという意味である。
さらに曰く、わざわざオウムのマークが見えるように表向きに置かれていた。
これは、プルシャの裏側には衣服に止めるためのピンが付いており、その分が飛び出しているために、普通に落として転がるとどうしても裏向きになってしまうため。
「そんな偶然があると思うか?どうだ?」
誰かがわざと置かない限り、そんな事になるはずがない。
それが麻原の主張だった。
同じくp162
「証言の際に彼は、自分がもっと早く逮捕されなかったのが残念だったと言い、・・・」
何者かがプルシャを目立つ場所に置いたの間違いないだろう。
それは中川だったのかもしれないし、他の誰かなのかもしれない。
玄関の鍵を開けておいた誰かとともに、永遠に謎のままである。