終末と救済の幻想8 | 法友(とも)へ

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p176

「田村によれば、グルの子供たちは甘やかされていて、特権意識に満たされていた。十代の娘は、何百万もショルダーバッグに入れて運び、また、十二歳の娘は、自分だけがカルマが落ちていると言って、他のオウムの子供たちをいじめたり支配したりした。」

 

うん、懐かしいね。(笑)

田村はびっくりするぐらい真っ直ぐな人物だった。

田村の彼女がまた、田村に輪をかけて真っ直ぐ過ぎる人物だった。

麻原も絡めて、なんやかんや色々あったな~。

 

p177

「ある幹部から、・・その女性の大便を食べることだと言われた。麻原は・・その出家者にそうさせた。」

 

この話の真偽は分からないと言っておこう。

当時聞いたところによると、Sが性欲を抑えきれなかったので、麻原が大便を食べさせてやってくれとその女性に頼んだのだが断られた。

そりゃそうだよね。

どんな美人でも、自分のうんこを衆人環視のもとにさらけ出す勇気はないだろう。

あいつのうんこは臭かったよな~と、死ぬまで語り継がれるのだから。

オシッコならいいという事になって、トイレに行ってコップに入れてきたのをSが(何を観想したのか分からないが)飲み干した。

という事らしい。

 

p179

「他者のカルマを背負うという麻原の考え・・・」

 

これも間違いである。

麻原が最初に何と言ったのか思い出してみることだ。

麻原は、カルマを受けるとはエネルギー交換であると述べている。

つまり、交換されるのはエネルギーであってカルマではない。

カルマがエネルギーを生み出し、そのエネルギーが現象化を起こす。

これがオウム真理教の教義である。

解脱以外の救済はないというのと同じで、麻原が最初に述べた事に反する考え方は教義ではなく方便である。

カルマを背負うとは、エネルギー交換によって先の三段階の途中で、あくまでも一時的に現象化を止める事を意味する。

一時的に現象化しないからといって、カルマが消えた訳ではない。

したがって、オウム真理教の教義において、事件の犠牲者たちがポアされる事は絶対に有り得ない。

ポアによる救済は方便にすぎない。

それをはっきりと認識した上で、もう一度考えるべきである。

麻原は、地下鉄サリン事件の犠牲者たちが誰一人として救済されない事を知った上で、なぜ事件を起こしたのか?