五蘊とは何かといえば、それは私というものの構成要素である。
この五蘊以外に私の構成要素はなく、したがって「私は誰か?」の答えの一つが五蘊ということになる。
皆空とは何かといえば、それは全てに実体が無いという事である。
例えば、受について。
感覚器官である眼耳鼻舌身意の六処、そしてその対象となる感覚の色声香味触法の六識、それら全てに実体がない。
実体がないとは幻影であるという意味であるが、幻影であるとは私ではないと言い換えることも出来る。
現代語で表現すると、感覚は私の感覚ではあるが、私そのものではない。
ということになる。
五蘊には実体がなく、実体が私だけであるのなら、それでは私とは何か?
と、さらに一段深く思索できる。
そして、この五蘊皆空から導かれる答えの一つが不生不滅。
すなわち、誰も生まれてはおらず、したがって誰も死ぬ事はない。
まさに、一般人には到底受け入れる事が出来ない、絶対の真理である。
しかし、この考え方は修行者にとっては絶対に理解しておかなければならない基本である。
地獄のカルマというものは自と他の区別から生まれる。
その区别が生まれた理由は、自分が生まれたのであり、同時にまた他人も生まれているという認識にある。
だが、誰も生まれていないのであれば、生まれた事を前提に生じた地獄のカルマは初めから存在しない事になる。
すなわち、地獄の破壊である。
逆に、自分が生まれたと考えるなら、自と他の区别は無くならず、地獄を生じさせる事となる。
では、なぜ、不生不滅と言えるのだろうか。