ヨガのすすめ35 | 法友(とも)へ

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不生不滅は真理である。

 

しかし、仏教にはその知識はあっても、なぜそう言えるのかの説明がない。

 

その答えは、ヨーガの中に見る事が出来る。

 

 

このブログの読者なら今更説明は必要ないと思うが、一応書いておこう。

 

真我

 ↓

プルシャ

 ↓

プラクリティ

 ↓

幻影

 ↓

人間

 ↓

神・仏・ブラフマン・アートマン・その他多数

 

という順番になっている。

 

幻影の中に人間が生まれ、その幻影である人間が架空のものとして作り出したさらなる幻影の中の幻影が神や仏、そしてブラフマンだのアートマンだの、さらには非我だの無我だという戯言である。

 

 

ヨーガにおいて、個別の生命体は存在せず、ただ一つの生命力のみが存在するとする。

 

その全ての幻影を生み出す生命力を、プラクリティと呼ぶ。

 

全てを生み出すただ一つの生命力だけが存在し、五蘊皆空、すなわち自分は存在しない。

 

自分が存在しない、同様に他人も存在しない、全てのものが存在しない。

 

すなわち不生不滅。

 

 

したがって修行の実践においては、幻影の中にたくさんあるように見えても実際には一つしか無いために、否定するのなら全てを否定する必要があり、肯定するのなら全てを肯定する必要がある。

 

全てを否定する方法をヒナヤーナ、全てを肯定する方法をマハーヤーナと呼ぶ。

 

どちらを選ぶかは自由である。