夕食の後は瞑想。
この時は選択制で、1階でロウソク瞑想、2階で指圧だった。
瞑想の参加者は10人もおらず、当時はやはりポーズがヨガの中心と思われていた時代だったのだと思う。
ロウソクから2メートルほど離れて丸く囲むように座り、坐法を組む。
田舎の山の中なので、照明を落とすと何も見えないほど真っ暗である。
目の前でロウソクの炎が揺らめいているのが見えるだけ。
ゆったりと呼吸しながらしばらくその状態を続けた後、今度は鼻から息を吸う時に炎がこちら向かって揺れ、口から吐く時に向こう側に向かって揺れるとイメージする。
次に何にも意識を向けずにただぼんやりと炎を見つめる。
静寂の仲、ただ炎が揺らめいているだけ。
次の瞬間、バンという竹刀で床を叩く大きな音がした。
いわゆる、「喝」である。
まあ、沖ヨガもオウムも竹刀が好きという点では一致している。(笑)
またしばらく炎への集中を続け、最後にその炎がフッと吹き消される。
暗闇と静寂だけがある。
以上でロウソク瞑想は終了なのだが、心を落ち着かせるという意味では非常に効果的なのだが、このやり方では解脱はしない。
沖正弘が説いた、八部門説の解脱に至るための手段としての瞑想には程遠い。
まあ、こんなものなのかなという感想だけで、何だか物足りなかった。
自分が求めているものとは違う、そう思った。