ヨガのすすめ29 | 法友(とも)へ

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夕食の後は瞑想。

 

この時は選択制で、1階でロウソク瞑想、2階で指圧だった。

 

瞑想の参加者は10人もおらず、当時はやはりポーズがヨガの中心と思われていた時代だったのだと思う。

 

 

ロウソクから2メートルほど離れて丸く囲むように座り、坐法を組む。

 

田舎の山の中なので、照明を落とすと何も見えないほど真っ暗である。

 

目の前でロウソクの炎が揺らめいているのが見えるだけ。

 

ゆったりと呼吸しながらしばらくその状態を続けた後、今度は鼻から息を吸う時に炎がこちら向かって揺れ、口から吐く時に向こう側に向かって揺れるとイメージする。

 

次に何にも意識を向けずにただぼんやりと炎を見つめる。

 

静寂の仲、ただ炎が揺らめいているだけ。

 

次の瞬間、バンという竹刀で床を叩く大きな音がした。

 

いわゆる、「喝」である。

 

まあ、沖ヨガもオウムも竹刀が好きという点では一致している。(笑)

 

またしばらく炎への集中を続け、最後にその炎がフッと吹き消される。

 

暗闇と静寂だけがある。

 

 

以上でロウソク瞑想は終了なのだが、心を落ち着かせるという意味では非常に効果的なのだが、このやり方では解脱はしない。

 

沖正弘が説いた、八部門説の解脱に至るための手段としての瞑想には程遠い。

 

まあ、こんなものなのかなという感想だけで、何だか物足りなかった。

 

自分が求めているものとは違う、そう思った。