エネルギーと呼んでいるものには一つしかない。
それは電気のように様々に形を変えて作用しているに過ぎない。
例えば、照明として、または動力として、その他には電磁波、デジタル信号、様々なものがあるがそれらはすべて同じ電気である。
エネルギーもまた同じ。
例えば5つのプラーナがあるが、それらは作用する対象が違っているだけで同じものである。
上から降りてくるエネルギーも下から上昇するエネルギーも同じものである。
クンダリニーもまた同じエネルギーである。
クンダリニーという特別なものがあるわけではなく、上昇する強烈なエネルギーにクンダリニーという名前を付けたに過ぎない。
オウムにおいて、上から降りてくるエネルギーとは何かというと、それはシャクティーパットである。
クンダリニーは尾骶骨から上昇するのに、なぜ麻原は尾骶骨からエネルギーを送り込まなかったのか?
疑問に思ったことはないだろうか。
その答えは簡単である。
このエネルギーの流れというものは、人が人である限り、常に変わることのない不変的な原則であるからだ。
そして麻原は、そのエネルギーの流れの原則を知っていたことになる。
形意拳というと、どうしても中国拳法という間違った観念を持ってしまうが、その根本にあるのは道教における修行体系である。
道教でピンと来なければ、タオと言えば分かりやすいだろうか。
ヨーガもタオも、ある型を実践する事でエネルギーを強め循環させる。
ヨーガにおいては座禅の型が中心であり、タオにおいては立禅の型が中心であるに過ぎない。