ヨガのすすめ8 | 法友(とも)へ

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ヨガと言えばアーサナである。

 

これは今も昔も変わらないが、最近では欧米人の影響が強く、筋トレの要素を追加するものが主流となっている。

 

 

ところが沖ヨガはポーズや呼吸法をさほど重要視していない、まあ、やりたい人はやればよい程度の扱いである。

 

なぜなら、沖ヨガはポーズや呼吸法だけをヨガとするのではなく、生きる事そのものをヨガにするという実践だからである。

 

例えば、歩くことについては、ただ歩くだけでどんどん健康になっていく歩き方がヨガ的に正しいと考える。

 

これは立ち方や座り方についても同様である。

 

一日中正しい身体の使い方をする、これが沖ヨガの実践であり、正しい身体の使い方をせずにポーズや呼吸法を行うのならそれは見せかけだけでヨガではなく、正しい身体の使い方をするのなら歩くだけでそれはヨガである。

 

ということになる。

 

 

そして、身体の動かし方だけでなく、呼吸においてもその実践を行う。

 

これは呼吸法を行っているときだけでなく、呼吸法を行っていないときにも一日中正しい呼吸を実践するという意味である。

 

さらに、心の働きにおいても、発する言葉においても、ヨガ的に正しい実践を行う。

 

一日24時間、生きることすべてをヨガ的に行う、これが沖ヨガである。

 

とてもじゃないが、こんな厳しい実践は常人には不可能である。

 

沖ヨガが、沖 正弘一代で廃れてしまったのも当然と言える。

 

 

まあ、こんな事を書くのもなんだけど、元オウムの皆さんから沖ヨガについてコメントがあったりもしたのだが、あまりにも知識が不足していると言わざるを得ない。

 

それは沖ヨガに限ったことではなく、精神世界全般について知識の絶対量が少なすぎるのではあるが。

 

何も知らないくせに質問もせず、どうしてそんなに傲慢になれるのか、不思議でならない。