ヨガのすすめ7 | 法友(とも)へ

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ヨガはポーズと呼吸法にはあらずというのが沖ヨガの考え方である。

 

これは道場の火災を契機にして生まれたようだが、この考え方はとても珍しい。

 

現代でも、ヨガと言えばアーサナを中心としたハタ・ヨガばかりだと言っていい。

 

ポーズと呼吸法はヨガにあらず、そして、ヨガの目的は健康になることにはあらず。

 

神秘的な力を持つように思えるヨガが目指しているものは一体何のか?

 

それはとても興味深い事に思えた。

 

 

沖 正弘はポーズや呼吸法ではない本物のヨガの実践者として、二人の名前を挙げている。

 

その一人は釈迦牟尼であり、もう一人はマハトマ・ガンジーである。

 

ガンジーは言わずと知れた非暴力の実践者である。

 

ガンジーは若者に銃で打たれて死んでいくわけだが、最後の言葉は「あの若者を許しなさい。」であり、その非暴力ぶりは徹底している。

 

その生活は物質文明に背を向けたものであり、完全に貪りを離れている。

 

これぞまさしくヨーガの所作であるが、その達成は偉大であると言わざるを得ない。

 

 

釈迦牟尼がヨガの実践者だと言っているのは麻原と同じであるが、これもまた珍しい。

 

まあ、考えてみれば当たり前のことで、仏教というものは釈迦牟尼が悟りを得た後に生まれたものであり、悟りを得る前には当然に仏教ではないものを実践していたはずである。

 

 

沖 正弘のヨガに対する考え方は、日本人だけでなく世界の歴史の中でも珍しいものだと言ってよいほどだ。

 

その考え方の基本にあるものは、生活の一部を使ってポーズや呼吸法を行うのではなく、生きることそのものをヨガにしてしまうという事である。